マヤ文明の末裔がジャワ島に渡来していた!? ピラミッドに共通点多数発見、現地調査で見えた“知られざる真実”
【マヤ文明の各時代によるピラミッド形状の変化】
ユカタン半島でマヤ文明のチチェン・イッツァが衰退したのは13世紀頃で、ジャワ島でチャンディ・スクゥが建造されたのが15世紀前半頃。つまり、13~15世紀前半、マヤ文明の衰退にともなって一部のマヤ人たちが太平洋を渡り、長い旅路の果てにジャワ島中部にたどり着いた。そして、ヒンドゥー教を信仰するマジャパイト王朝に取り込まれるとともに、ピラミッド建造に関与したというストーリーが考えられないだろうか。
ジャワ島に流れ着いたマヤ人たちが、単独でチャンディ・スクゥのような寺院を建てたとは考え難い。というのも、マヤ文明のレリーフには、チャンディ・スクゥに見られるようなエロティックな要素がないからだ。
さらにもう一つ、ジャワ島で用いられる「ウクゥ暦」という暦だが、これもマヤ文明で用いられた「ツォルキン」と呼ばれる暦とよく似ている部分がある。ツォルキンでは、20日周期と13日周期の組み合わせによって1年が260日となる。これに対して、ウクゥ暦では7日×30週、つまり1年が210日周期となり、両者の1年は比較的近いものとなっている。
マヤ人ジャワ島渡来説は、推論を重ねた上での筆者オリジナルの仮説ではある。しかし、チャンディ・スクゥとマヤ文明のピラミッドが酷似している理由が、他に思い浮かばないのだ。今後は、遺跡の外観のみならず他のさまざまな要因も比較・検討し、さらにこのミステリーを追求してきたいと考えている。
百瀬直也(ももせ・なおや)
超常現象研究家、地震前兆研究家、ライター。25年のソフトウエア開発歴を生かしIT技術やデータ重視の調査研究が得意。Webサイト/ブログ:『探求三昧』、『神秘三昧』、『防災三昧』、Twitter:@noya_momose
参考:「Ancient CODE」、「ANCIENTEXPLORERS」、ほか
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