元ヤマハの高級リゾートホテル廃墟に潜入! 4代目社長が描いた夢の跡…=諏訪之瀬島

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「諏訪之瀬島にリゾートホテルと滑走路を作ったのは、ヤマハの子会社である中日本観光開発です。ヤマハグループのオーナー社長である川上源一は、本業であるピアノやオルガン関連の事業だけではなく、オートバイやボート、アーチェリー、スキー、ステレオなどといった事業を展開していました。ボートやアーチェリーは趣味としていたもので、オートバイを始めたのは“ひらめき”だったようです。観光事業は、道楽から始まったようですね。屋久島や硫黄島につつじを見に行ったことをきっかけとして始まった九州以南の観光開発は、屋久島や種子島から吐喇列島、奄美諸島、沖縄を含む南西諸島全域を対象としていたものです」

 ナンダさんが諏訪之瀬島に来たのは、1967年(昭和42年)6月のことになる。20歳だった。上陸したのは4人で全員が『部族』というグループのメンバーだった。『部族』というのは、1960年代の後半に、カウンター・カルチャー(注)を実践しながら生きていくことを目的としていた若者たちによって作られたグループだ。新宿にあった『風月堂』という喫茶店に出入りしていたラディカルな若者と、東京・国分寺にいた若者がひとつになって『部族』が生まれている。当時、風月堂には、寺山修司や唐十郎もいた。また、国分寺には、詩人の山尾三省もいた。『部族』の中には、「日本のヒッピーの元祖」と呼ばれた詩人のななおさかきや彫刻家なども参加していた。諏訪之瀬島に来たのは、ここにコミューン(共同体)を作るためだった。

 ヒッピームーブメントは、1960年代の後半にアメリカ西海岸で開花したものだ。ベトナム反戦を掲げ、“LOVE&PEACE”を合い言葉として先進国に広がっていった。それは、1960年の安保闘争に端を発する学生運動が行われていた日本にも飛び火している。ヒッピームーブメントは、若者たちの間に浸透していくと、自然への回帰を目指して、既成の価値観に縛られた社会生活に背を向けることがファッションともなっていた。

 ナンダさんは、高級リゾートホテルのことを良く覚えている。コテージに宿泊した人たちは、建物の周りにある畑でくだものを自由に採っていたと話す。コテージには、キッチンなどが備えつけられていたので簡単な料理を作ることができたからだ。今風にいえばロハス風のリゾート施設が造られていたことになる。

「お客さんは、あっちこっちから来ていたよ。東京や大阪からもね。外人も4~5名くらいのグループで来ていたね。画家をやっていた友だちも彼女を連れて来たよ。1億円儲けたとか言ってね。ちゃんとしたシェフもいてね。料理は美味かった。とりわけエビ料理は、流石だなと思ったよ。よく呼ばれたよ。ユートピアを目指していたんだろうね。でも、普通の釣り客は来ていなかったね。『いそこじきおことわり』っていう看板がコテージの玄関にぶら下がっていたの。カネ持って来ないやつはダメなのね(笑)」(ナンダさん)

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コメント

1:匿名 2019年5月1日 19:26 | 返信

写真がもっと見たかったなぁ〜

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