元ヤマハの高級リゾートホテル廃墟に潜入! 4代目社長が描いた夢の跡…=諏訪之瀬島

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 ナンダさんは、「これは捨てるのももったいないからね……」と言うと、その看板を出してきてくれた。屋久杉を材料にして作ったと思われる看板には、『つりてんぐ いそこじき おことわり ていしゅ 川上源一』という白い文字が筆で書かれていた。

 川上源一は、1912年(明治45年)に静岡県浜名郡豊西村(現在の浜松市)で生まれた。日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)の第4代社長で、父の嘉市から1950年(昭和25年)に経営を引き継いでいる。鶴の一声で人事を決めるなど、そのワンマンぶりは有名で、従業員からも恐れられていたという。当時、マスコミは、『川上商店』などと揶揄していた。

 諏訪之瀬島は、都会で暮らしている人たちにとっては、楽園のようなところだ。しかし、この高級リゾートホテルの経営は、長く続かなかった。社会情勢の変化とともに、次第に客足が遠のいていったのだ。ハワイやグアムといった海外の観光地が注目されるようになってくると、東京や大阪からアクセスの悪い諏訪瀬島は、観光客に敬遠されるようになった。

「ゴールデンウィークや夏には人がいるけど、随分長い間お客が来なくなっていたよ。冬は少なかったね~。一般のお客さんは段々と少なくなってきて、たまに来ても招待客みたいな感じだよな。『新婚さん専用ルーム』ができてから1年半も経たないくらいの頃の話だよ。採算は絶対に合ってないよ。それでも、源一はしばらく遊びに来ていたよ。釣りが好きだからね。もう最後の方になると、一般の釣り客も受け入れていたけどね。やっぱりこっちの魅力は釣りだから、ヤマハもその辺で妥協しなきゃいけなかったんじゃないの?」(ナンダさん)

『新婚さん専用ルーム』には、若いカップルが泊まることが多かったという。インドネシアのバリ島にあるリゾート施設のようなものだったのかも知れない。しかし、高級リゾートホテルの最後は、あまりにもあっけなく訪れた。

「ある日、突然、壊すということで連絡があったよ。『解体するから』って。その頃は、ヤマハの連中はいなかったよ。たまに管理人が見に来るっていう程度だったね。一番先に狙われたのは釣り道具よ。大物釣りのリールなんかを建築業者が持って行ったね。ヤマハの記録フィルムは、電気屋が持って行った。もう略奪だよな。契約書などもあったけどね。ヤマハに対しては言うことは何もないね。源一はもう死んだし。彼は、何か夢を見ていたのかも知れないね……」(ナンダさん)

 ヤマハの関連会社が造ったリゾート施設は、開業から数年で廃業に追い込まれた。川上源一が泊まっていたヴィラが最初に壊されると、その次に果樹園のあったコテージが壊されたという。ナンダさんの話を聞いていると、川上源一が思い描いていた青写真が見えてくる。彼にとってこのリゾートホテルは、ひとつの『作品』だったのだろう。コテージの周りをみずみずしい野菜やくだもので彩って、それまで日本のどこにもなかった『夢楽園』を造ろうとしていたのかも知れない。

(注)カウンター・カルチャー:1960年代後半から70年代初めにかけてアメリカの若者たちが生み出した文化。既存の文化や体制を否定して、新しい思想や価値体系、ライフスタイルを創造。対抗文化とも

文・写真=酒井透

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