■模索のなかで確信した写真への思い
——家出の途中に、写真にまつわる偶然の出会いが重なったんですね。それから写真を撮るように?
水島 いえ、撮り始めたのはもう少し先です。中学を卒業して通信制高校に入ったんです。通信制って毎日学校に行かなくていいじゃないですか。それで、バイトばかりしていたんですけれど、同時にやりたいことも探していたんです。小さい頃から団体行動が苦手で、普通に就職してっていうのは無理だと思っていたから、一人でできて没頭できることを見つけて生きて行こうと思っていて。ピアノをやったりサーフィンをやったり、家にあったハンデイカムで映像をやったりといろいろ手を出していたんです。
——将来を模索していたのですね。
水島 その当時付き合っていた彼女が仕事でモデルをやっていて、彼女の部屋に貼ってあった写真がすごくよかったんです。暗くて悲しいんだけど、あたたかいというか、鋭い感じのいい写真でした。それを見て、彼女を撮りたいと思い、雑誌の通販で買った一眼レフカメラで撮ったんです。その頃は露出とかがわからなかったから、真っ暗で何も写っていなかったけれど、「俺は写真が好きだ」と実感しました。中学生の時から気になってたし、これなら続けられるかもって。
——あらためて写真の魅力と出会ってしまった。
水島 それで写真の専門学校への進学を決めました。レンタルのハウススタジオを経営していたから、「ゆくゆくはウチのスタジオに入って…」っていう考えもあったんでしょうね。親も「いいよ」と。それで、いくつかパンフレットを取り寄せて見ていたら、そのうちの1つに「就職しなくても作家という道がある」みたいなことが書いてあって、「これなら俺でもイケる」って思ったんです(笑)。そこで講師を務めていた写真家の有元伸也さんの写真を見て、こんなふうに人を写した写真を撮りたいと思って、学校を選びました。
——その頃から人を中心に撮っていたんですか?
水島 身の回りの人間関係、彼女とか女の子のヌードとかをモノクロで撮っていました。そこから、今から5年前くらいですね、渋谷にあった脱法ハーブの店に集まる人たちのコミュニティを撮り始めました。もうなくなっちゃんですけれど。
——どういう経緯でそのコミュニティを撮ることに?
水島 渋谷のセンター街で出会って写真を撮らせてもらった人が教えてくれたんです。ビルの地下で昔はバーだったようなんですけれど、「そこに入ってみな」って言われて、行ってみたらブリってるやつらがいっぱいいたんですよ。死んだように倒れている人が3人くらいいて。その様子が面白かったから撮影して、翌日にプリントを持って渡しに行ったんです。そこで改めてお願いをして、撮らせてもらうことになりました。