陰陽師・安倍晴明ゆかりの「晴明神社」に村田らむが行ってみた! 五芒星、式神、九字、呪符…陰陽師アイテムが超カッコいい!
境内には、月の像や、古い大きな狛犬も設置してある。ふむふむと思って見ながら歩いていると、先程の授与所とは別に『桔梗庵』というお土産屋さんも別にあった。神社公式のショップらしい。店内にはお守り以外にも、Tシャツ、扇子、お菓子、ストラップなどを売っている。壁には映画『陰陽師』のポスターが貼ってあった。
カップルや夫婦が次々に入り色々な物を買っていっている。陰陽師人気でずいぶん潤っているようだ。
僕も五芒星とともに『晴明神社』と書かれたTシャツを買ってみた。あとで確かめてみると、バックプリント(背中にプリント)のみだった。
晴明さんよう!! きょうびバックプリントのみのTシャツはあんまないぜ~!!
ショップの外には、再現された一条戻橋が設置されていた。実際の部材を一部使っているそうだ。伝説では一条戻橋のたもとに式神を隠していたと言われているので、それにならって式神の石像が置かれていた。
ただすごい漫画っぽい式神だった。誰が作ったのか見てみると、京都洛中ライオンズクラブと書いてあった。なんかガッカリする。
本物の一条戻橋は、晴明神社から100メートルほど離れた場所に現在もあった。
一条戻橋は平安京ができた時にできた橋なので、1200年以上の歴史がある。もちろん何度も作り変えられているが、場所は同じだそうだ。現在の橋は、アスファルトで覆われた道路の一部のような普通の橋である。上を通ってる自動車も、そんな歴史がある橋だとは思ってない人がほとんどだろう。
階段で下に降りることができた。
下に降りると、石垣で組まれた立派な橋だった。
看板が出されて橋の解説も書いてあった。918年三善清行が亡くなったとき、息子 浄蔵が帰ってくると棺はちょうどこの橋の上を通っていた。浄蔵が棺に泣き縋ると、清行が蘇生して話をした。……という伝説や、この橋の上で渡辺綱が馬に乗せた女子が鬼と化し、その腕を切り落としたエピソードなどが書かれている。
一条戻り橋はその後、戦国武将が鋸挽にされて死んだり、島津歳久と千利休が梟首されたり、第二次大戦で戦争に行く家族が戻ってくることを祈ってこの橋を渡ったりと様々な歴史の舞台になった。
京都は歴史が長い街だから、街のいたるところに歴史的なポイントがあって面白い。そうして今も、その歴史の先端にいる人たちが楽しそうに一条戻り橋を渡っている。
安倍晴明が橋のたもとに隠したという、式神の目線で道行く人達をしばらく眺めていた。
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2024.10.02 20:00心霊陰陽師・安倍晴明ゆかりの「晴明神社」に村田らむが行ってみた! 五芒星、式神、九字、呪符…陰陽師アイテムが超カッコいい!のページです。陰陽師、村田らむ、京都府、安倍晴明、京都市考古資料館、晴明神社などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで