「縁切り神社」安井金比羅宮の“本当に怖い絵馬6連発”! 呪い、恨み、インスタ凍結…村田らむが厳選!

――B級スポット、樹海や禁断の土地、ホームレス取材を得意とするルポライター村田らむが寄稿
<絵馬6連発は4ページ目!>


 京都に行ったついでに“縁切り神社”として知られる安井金比羅宮に足を運んだ。

 そもそもは西暦600年代に藤原鎌足が建立した仏堂だと言われている。藤の木を植えて、藤寺と名付けた。

 そしてその藤の木を、たいそう愛でたと言われているのが崇徳天皇だ。

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崇徳上皇像。画像は「Wikipedia」より引用

 1119年生まれの崇徳天皇は、わずか3歳で第75代天皇に即位した。1142年で退位し上皇になる。その際に、腹違いの弟に天皇の座をうばわれることになり朝廷内に遺恨が残った。

 そして1156年、朝廷が後白河天皇(弟)サイドと崇徳上皇(兄)サイドに分裂、武力衝突に至った。

 これが『保元の乱』である。そして崇徳天皇は敗北し、隠岐諸島に島流しになる。武力衝突では大いに武士が活躍したため、以降江戸が終わるまで続く“武士の世”がはじまるきっかけになった。

 歴史の授業でなんとなく習ったのを覚えているだろうか?

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後白河法皇像。画像は「Wikipedia」より引用


 元天皇陛下なのに島流しにされるのはつらかっただろう。島に幽閉された後は仏教にかぶれ、経典の写本を制作して、

「お寺に収めて欲しい」

 と、朝廷に送ったという。

 写本を受け取った後白河天皇は

「なんか呪いかかってそうで、気持ちわりい。返すわ」

 と島に送り返してしまった。

 崇徳天皇は怒り心頭になり、指を切って(舌の説もあり)その血で

「この身を魔道に捧げて天下を乱して、恨みを晴らしてやる!!」

 と誓いを書き、写本ごと海に投げ捨てた……と言われている。その後は髪も爪も伸ばしっぱなしで、天狗のようになったという証言もある。

 写本を突き返されたくらいで、ずいぶんとまあ怒ったもんである。

 アイドルのアカウントに毎日クソリプつけた挙げ句、アイドルからブロックされて怒り狂うストーカー的ファンのようだ。

 島流しにあった8年後の1164年に崇徳天皇は死んだ。

 崇徳天皇の死後、立て続けに世の中を揺るがすような事件が起きたり、後白河天皇に関係する人物が亡くなったりした。

「これって崇徳天皇の祟りじゃね? やばくない?」

 と噂に上った。

 崇徳天皇の怨霊をおさめるために「崇徳天皇御廟」などが設置された。

 崇徳天皇が亡くなった時、崇徳天皇直筆の御尊影(肖像画)を寺中の観音堂にお祀りした。その後、1177年に大円法師がお堂にこもった際、崇徳天皇が現れたそうだ。

 知らされた後白河天皇がビビって建立した光明院観勝寺が、安井金比羅宮の起こりだという。

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