指紋の男、不審な銃弾、アノ事件との関連… スーパーナンペイ事件25年目の真実
【スーパーナンペイ事件25年目の真実】 指紋の男、不審な銃弾、アノ事件との関連… 「平成3大未解決事件」の闇に作家・沖田臥竜が迫る!
■3つの犯人像 —— その2「警察庁長官狙撃事件との関連」
そもそも、このスーパーナンペイ事件で捜査が難航した大きな理由は、遺留物の少なさにあるだろう。同じく「平成三大未解決事件」と呼ばれる世田谷一家殺害事件のように、現場に犯人の指紋や血痕、遺留品が大量に残されていたわけではない。犯人が、犯行現場となったスーパーの事務所に滞在していた時間も、せいぜい5分程度。犯人に直結する遺留品が残りにくい状況ではあった。
粘着テープ以外に事件現場に残された物といえば、殺害に使用された銃弾と、10カ所の足跡だった。
ただ、いくら少なくても、遺留物から犯人を追っていくのが捜査である。
まず、警視庁が着目したのが、検出された足跡だった。跡が残されていた床の付着物を調べた結果、微細な鉄分と粘土が採取されており、溶接作業に従事していたか、もしくは鉄工所などに出入りしていた可能性があることがわかったのだ。そして、靴底は広島県内のゴムメーカーが作ったものだということも判明した。この靴底は、運動靴など30種類に使われており、多摩地区では当時、パルコ吉祥寺店、調布店などで1万〜1万5000円程度で販売されていることまで追跡できたのである。
そして、もうひとつの重要な遺留品が、銃弾である。拳銃から放たれた銃弾は、回転しながら飛ぶのだが、発射される際、銃弾には線条痕という痕跡が残る。銃口を抜ける際に銃弾につく細かな線上の傷のことだが、ここから凶器とされる拳銃を特定することも可能なのだ。
凶器となったのは、現場に残された銃弾から、すぐに38口径の回転式拳銃と判明している。そして、線条痕などから、フィリピン製のスカイヤーズ・ビンガムであることが特定されたのだが、事態はここで、思わぬ方向へと進むことになる。
きっかけは、スーパーナンペイ事件から7年後の2002年11月。名古屋市内で現金輸送車が襲撃され、犯人が現行犯逮捕されたことだった。
捕まった犯人の名前は、中村泰。この男、実は東京で起きた國松警察庁長官狙撃事件で一時、有力容疑者として浮上した男であった。
奇しくも、スーパーナンペイ事件と國松警察庁長官狙撃事件は、同じ年の1995年に発生している。
振り返ってみても、1995年という年は、日本が大きく揺れた年だった。1月17日には、死者6434名、行方不明者3名、負傷者4万3792名という犠牲を出した阪神・淡路大震災が発生し、3月20日には死者13人、負傷者約6300人という犠牲を出したオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。そのさらに10日後には、國松孝次警察庁長官狙撃事件(2010年3月30日時効が成立)。そしてスーパーナンペイ事件と、全てがこの年に重なったのであった。
また、司法にとっても、この年に起きた事件がひとつの分かれ目となっている。
2010年4月27日、刑事訴訟法が改正されたのだ。殺人などによる凶悪犯罪の公訴時効が廃止されたこの改正法は、異例の即日施行となった。この日までに時効を迎えていなかった対象事件は時効が撤廃されたのである。奇しくも前月3月30日に、國松警察庁長官狙撃事件が15年という時効を迎えたばかりだったが、その4カ月後に起きたスーパーナンペイ事件に対しては時効がなくなったのである。
國松警察庁狙撃事件に関して、今もなお自身の犯行だと訴え続けている男が、前述した中村泰だ。
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