【春日武彦×末井昭の連載/猫と母】夫婦喧嘩も猫で解決!? 不妊治療、離婚騒動、猫のお産…


 第1回目書きましたが、〈ねず美〉はペットショップで譲ってもらった保護猫です。

 美子ちゃんが予防注射で〈ねず美〉を獣医さんに連れて行った時、猫を外に出すと猫エイズや交通事故が多いから、一軒家でも部屋の中だけで飼っている人が多いと聞いて、最初はリビングの中だけで飼うことにしていました。

 ところが2週間も経たないうちに、ぼくが会社から帰ると〈ねず美〉が家の中を走り回っていました。行動範囲をリビングに限定していたのに、美子ちゃんは「ねず美ちゃんは二階に上がれるよ」とか、「二階からひとりで下りてきたよ」とか言っています。「リビングだけじゃなかったの?」と言うと、池谷裕二さんと糸井重里さんの対談集『海馬』(ほぼ日ブックス)を読んだらしく、「行動範囲を広げてあげれば、ねず美ちゃんの海馬も育つんだよ」と言います。

「押入れには入れないようにしようね」と言っていたのに、「入りたいのに入れないと、ねず美ちゃんのストレスが溜まるから」と、押入れもクローゼットも開けっ放しになりました。

 食卓には上らせないようにしようと言っていたのに、食べ物がなければ上がってもいいことに規制緩和されました。「障子は絶対破らせないようにしないとダメだよ」と言ったのに、あっという間に障子はボロボロになりました。

障子をボロボロにしてしまった〈ねず美〉(写真:神藏美子)

 美子ちゃんは〈ねず美〉が我が家に来た年に、『たまもの』(筑摩書房)という写真集を出しました。前夫の坪内祐三さんと別れ、ぼくと暮らし始めた頃のことを写真と文章でまとめた本で、その作業は2年以上かかりました。写真を見つめ、坪内さんと暮らしていた当時のことを思い出し、それを文章にしていく作業は、「寂しさ」を引っ張り出すことでもあったと思います。

 美子ちゃんが「子どもが欲しい」と言うようになったのは、『たまもの』をつくっている頃で、ぼくはちょっと慌てました。それまで、自分が子どもを持つというイメージがまったくなかったからです。

 とりあえず、ぼく自身が子どもをつくれるのかどうか、不妊治療をやっているクリニックに行って調べてもらうことにしました。

 個室で宇宙企画のAVを見ながら精液採取し、しばらく待っていると診察室に呼ばれました。中に入ると、モニター画面で精子が動いていました。自分の精子を見るのは生まれて初めてのことです。しばらく画面を見ていた医師が、「ちょっと動きが鈍いねえ」と言いました。それを聞いてモニター画面を見ると、確かに動きが鈍いような感じがしました。勢いがないのです。

 その後、人口受精を何度か試みることになったのですが、妊娠はしませんでした。美子ちゃんはそれでも諦めずに、今度は体外受精を始めましたが、それもうまく行きませんでした。その間に、何年も不妊治療をしている方々と話す機会があったようで、何年も何年も子どもをつくることに執着していることが恐ろしくなってきたようで、「子どもがいなくてもいいよね」ということになったのでした。

 美子ちゃんは〈ねず美〉を自分の子どものように思っていて、いなくてはならない存在になったのでした。だからぼくが猫のことを書くことは、美子ちゃんのことを書くことでもあります。

 ガラス戸越しにいつまでも外を見ている〈ねず美〉を見て、美子ちゃんが「ねず美ちゃんは外に出たいんだね」と言っています。美子ちゃんがそう言えば、〈ねず美〉は近いうちに外に出ることになるかもしれません。

 しかし、外に出すと、猫エイズのこともありますが、車のことが心配です。家の前の通りは一方通行で車はあまり通らないのですが、道幅が広いので、時々かなりスピードを出して通り抜ける車もあります(ちょっと先で死亡事故も起こっています)。

 前の結婚生活(ぼくは一度離婚してます)の時も、猫を3匹飼っていたのですが、1匹は車に轢かれて死んでいます。家のすぐ横を真っ直ぐな一方通行の道が通っていて、朝は車がかなりスピードを出して走っていました。ある朝、急ブレーキをかける音がして、その直後、猫が走って帰って来たかと思うと、ぼくらが見ている前でグルグル円を描いて走りバタッと倒れました。クルマに轢かれて内臓がやられていました。「頑張って帰って来たんだね」と言って、妻は泣いていました。その時のことがフラッシュバックするのです。

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