潜伏キリシタン関連世界遺産「野崎島」から人が消えた本当の理由とは? 信仰を集める霊地を襲った異変を取材

 佐世保市から航路で90キロメートルの西海上、五島列島の北部に浮かぶ野崎島は、西海国立公園に指定されている。長崎県の「レッドリスト」にも載っているカラスバトやミサゴ、野生の九州鹿が500頭あまり生息し、イスノキやスダジイなどの原生林が残されている。島には小中学校の廃校を改修した「野崎島ワイルドパーク自然学塾村」がある。

 周囲16.6キロメートルほどの野崎島には、神道とキリスト教が共存していた。五島列島で暮らしている人たちならば誰でも知っているO神社は、上五島一円の信仰を集める霊地となっており、古くから信仰の対象となっていた。

 現在、野崎島に残されているのは、O神社と王位石(おえいし)、旧・野首天主堂だけとなっている。平岳(標高350m)の頂上付近にある王位石は、二柱の上に笠木のような平石が乗っている奇岩で鳥居のように見える。平石の上では、昔の人が神楽を舞ったという伝説がある。また、旧・野首天主堂は、教会建築にかけて名棟梁と言われた鉄川与助によって明治41年に建てられ、平成元年3月に長崎県の文化財に指定されたものだ。野崎島集落は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一部「野崎島の集落」として、2018年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されている。

 数年前、現地に数日間滞在して廃村となった野崎集落などを見て回ったことがあるが、かつて野崎島で暮らしていた人の話を聞くと、その時には分からなかった意外な事実が浮かび上がってきた。野崎島に生まれ、野崎集落で暮らしていたKさん(72=当時)は話す。

「野崎島から人が離れたのは、表向きには『嫁問題』とされていますが、実は信仰の問題が絡んでいました。野崎の集落に住んでいたのは神道の人たちだけでした。島の北端にあるO神社では、近年まで祭事が行われていましたが、最後に神主をやられていた方は、婿養子に来た人だったんです。そのような人が、祭事を取り仕切っていました。私たちから見れば、『どうかな……』って思うことがありましたよ。(まがい物のような)祭事が執り行われていたのです。位の高いことを、誇りとしていたんです。そんなこともあって、ひとりふたりと去って行きました。O神社のご神体は、小値賀島にある神社に移されたので、あそこには神殿が残っているだけです……」

 野崎島には、小値賀島から1日2便運行されている町営船に乗って行くことができる。しかし、閑散期に野崎島を訪れるのは、小値賀島に来て時間にゆとりのある観光客や、小値賀島に住んでいる旧・島民くらいだ。野崎集落から2.5キロほど離れたところにあるO神社にアプローチする場合は、山歩きに慣れたガイドと一緒に行くのが望ましい。

文・写真=酒井透

●酒井透(さかい・とおる)
写真週刊誌「FOCUS」(新潮社/休刊中)編集部カメラマンを経て、現在、秘境・不思議スポット探検家/写真家として活動中。「FOCUS」時代には、逮捕直後の宮崎勤をスクープする。国内はもとより、これまでに50カ国あまりで取材活動を行っている。著書に『中国B級スポットおもしろ大全』(新潮社)、『未来世紀 軍艦島』(ミリオン出版)などがある。最新刊は、『軍艦島 池島 長崎世界遺産の旅』(筑摩書房/共著)。

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