キリスト教「右頬を殴られたら左頬を差し出せ」に込められた真の意味とは!? ハーバード大の講義でわかった衝撃の解釈

 専守防衛とは何か、それは核による先制攻撃である――そんな不穏なジョークがリアルに感じられるほどキナ臭い昨今の国際情勢である。日本で語られる「ガンジーでも助走つけて殴る」「千手観音が中指立てる」「キリストに十字架にかけられる」等のネットミームは、程遠い「平和」への願いの裏返しと言えるだろう。

「平和」は、人類が狩猟採集生活から農耕農村生活へと移行し、食料と富を蓄積し始めたころからの夢と言っていい。それゆえ古今東西の宗教的天才たちは、それぞれの方法で平和を希求してきた。

 以前トカナでも、そんな一例を紹介した。初期キリスト教を研究対象とする歴史学/新約聖書学者ドミニク・クロッサンの解釈である。面壁九年、重厚な研究で有名なクロッサンの研究は専門家でなくては難しい。以下、気軽に読める2015年1月の記事を再掲する。

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キリスト教「右頬を殴られたら左頬を差し出せ」に込められた真の意味とは!? ハーバード大の講義でわかった衝撃の解釈の画像1マタイ「Wikipedia」より

「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」――これは新約聖書内『マタイによる福音書』第5章に登場する、有名なイエスの言葉である。同じく新約聖書内『ルカによる福音書』に登場する「汝の敵を愛せ」という言葉同様、敵を許し仕返しをするな、という教えに相違ない。

 全人類の罪を背負い、その身代わりとして人々の救いのため自ら十字架にかけられたというイエスが説くキリスト教が、「慈悲と許しの宗教」であるということを象徴する言葉でもある。

 しかし、である。「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という言葉について、もしも自分が殴る側だったらと想定して、今一度よく考えてみていただきたい。筆者の知人で米・ハーバード大学への留学経験があるAさんは、在学中に講義の場で、この言葉について驚くべき解釈を教えられたと語る。

■手のひらで左頬を殴ることの意味

Aさん 「憎い相手を想像してみてくださいよ。利き手の右手で普通に相手を殴ったら、右でなく左の頬に当たりませんか?」

 確かに! 聖書を読むだけでは、なかなか気づかない人が多いだろう。実際によく考えてみれば分かることだが、右手でとっさに誰かを殴るとなると、相手の右頬に当てることは難しい。

Aさん 「そうなんです。無理でしょ? 相手の右頬を殴りたければ、やりやすいのは手の甲、つまり裏拳です。昔は、卑しい身分の奴隷を殴る時、手のひらで殴ると『手が汚れる』と考えられていたため、裏拳で殴っていたんです」

 なるほど! それなら確かにつじつまが合う。

Aさん 「でも、ここからが本題ですよ。右頬を裏拳で殴られた相手が、イエスの教え通りに左頬を差し出したとします。でも、裏拳では無理ですよね? 今度はキレイな手のひらで殴らざるを得ない。そこで主人が、右の手のひらで奴隷を殴ったとしましょう。するとそれは、今までの関係が変わった、ということを意味するのです。『主人と奴隷』の関係から、『対等』になってしまうのです。この事実は、殴る主人の側にとって大変屈辱的なことなのです。実は、ここに真意があるんです」

 なんと!! 暴力を用いることなく、主人にここまで巧妙に屈辱を与えるとともに、自らの立場を変える方法がほかにあるだろうか! ガンジーの「非暴力不服従運動」にもつながる精神を感じる。そう、イエスは何も「奴隷のままでいて、全てを受け入れ、現世では我慢するように」などと言っていたわけではなく、“平和的な闘い方”を教えていたのだ。

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