ラブドールの“生みの親”はヒトラーだった? モデルの女性も判明、ナチスの超極秘「ボーグヒルド計画」
第二次世界大戦にまつわる都市伝説の一つに「ナチス・ドイツを率いたアドルフ・ヒトラーがダッチワイフを発明した」というものがある。
『ムッソリーニの理髪師(Mussolini’s Barber)』という本の著者グレアム・ドナルド氏によると、当時のナチス親衛隊のトップであったハインリヒ・ヒムラーは、パリ占領後に「この都市の最大の危険は、バーやダンスホール、その他の場所で客を拾うなど野放しにされている売春婦である。兵士の健康を危険に晒すことがないようにするのが我々の義務だ」とし、ドイツ衛生博物館のアダム・ジマーマン氏の監修の下でデザインされた50体の性的人形を注文する許可をヒトラーから得たという。これらの人形は「ボーグヒルド計画」 というコードネームで作成され、占領下のジャージー島の軍事キャンプでも試用されたそうだ。
前述のドナルド氏はバービー人形の歴史について調べている時にナチスが秘密裏に行っていたこの計画を知ったと語る。「リリ」 という名前で売られていたナチス製のダッチワイフが、1950年代にバービー人形の初期デザインに影響を与えたと彼は述べる。
「多くの戦場で起きることですが、銃弾よりも病気に倒れる兵士のほうが多かったのです。ナチスは、軍人が梅毒にかかるのを防ごうと、性的人形を開発し始めました」
その後、ヒトラーは当時のハンガリーで活躍した映画スターであるケーテ・フォン・ナギのイメージに基づいてダッチワイフを製造するよう命じたという。ちなみに最高司令部内では、この人形の髪型について徹底的な議論がなされたとか。「サイドを巻いた髪型にするかどうか議論になりましたが、最終的にはボーイッシュなボブヘアが勝ちました」とドナルド氏は語っている。
しかし、今となっては「ボーグヒルド計画」が実際に存在したことを示す確かな証拠はほとんどなく、人形のプロトタイプを写したとされる古い写真が2枚ほど残るのみだ。ドイツ軍人はこのダッチワイフを持ったまま捕まることを恐れていたため、敗戦に伴い破棄されたのではないかと考えられている。後にドレスデンの工業中心部がイギリス空軍によってほぼ完全に破壊されたため、このプロジェクトは闇に葬り去られたとも言われている。
興味深い話ではあるが、この話は都市伝説の域を出ないという指摘もある。ドナルド氏はダッチワイフがプラスチックで作られていたと述べるが、いくら兵士の性病対策とはいえ当時のドイツがわざわざダッチワイフのために軍備を割くとは考えにくいと懐疑派は考えているのだ。そもそもダッチワイフの起源は17世紀にさかのぼり、オランダの水兵たちが、長旅で性的欲求を和らげるために帆布から粗雑な女性の人形を作ったのが始まりという話もあるが、これもまた確証はないのが実情だ。歴史の真実はどこにあるのか、今後の研究の進展が待たれるところだ。
参考:「DAILY STAR」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊ラブドールの“生みの親”はヒトラーだった? モデルの女性も判明、ナチスの超極秘「ボーグヒルド計画」のページです。ナチス、ヒトラー、都市伝説、ラブドールなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで