「天国に行けるように」家族を皆殺し、平然と新たな人生を送って18年…! 敬虔な男が凶悪殺人鬼に変貌した理由=米
1971年11月9日、米ニュージャージー州ウェストフィールドにある邸宅で、ジョン・リストは妻、母親、3人の子供を殺害した。その後、サンドイッチを作り、銀行に車で出かけたまま姿をくらましてしまった。
リストの家族の遺体が発見されたのは1カ月後のことだった。常に明かりが灯っているにもかかわらず、窓から見える部屋には誰もいないように見えるリスト邸を不審に思った隣人が、警察に通報したのだ。
12月7日、警官が鍵のかかっていない窓からリスト邸に入り、舞踏室の床に血まみれの遺体が横たわっているを発見した。遺体は、リストの妻のヘレン(当時46)、娘のパトリシア(当時16)、息子のジョン(当時15)、フレデリック(当時13)だった。2階では、リストの母のアルマス(当時84)の遺体も発見された。5人全員が頭部を銃で撃たれていた。
リストは、自宅にあった全ての家族写真から自らの顔を切り取り、パスポートも破棄していた。そのため、警察は彼の近影を捜査に使用できなかった。リストが残した唯一の証拠は、彼が書いた5ページの手紙だった。その手紙で、彼は一家惨殺を自白し、自らの犯罪を正当化しようとした。
敬虔なルーテル派(プロテスタント最大の教派)信者であるリストは、ユージーン・A・レーウィンケル牧師に宛てた手紙の中で、「彼らが天国に行くことができるように」家族を殺害したと主張した。この手紙は、牧師に対して「仕事を増やした」ことを謝罪する文章から始まる。
手紙によると、リスト自身の経済的困窮がきっかけで、家族が宗教を捨ててしまうのではないかと恐れたことが殺害の動機だったという。「すべてが終わった後、賛美歌の本から、彼ら全員のために祈りを捧げました。それが私にできる最低限のことでした」と書かれていた。さらに、神はリストを助けることができたかもしれないという記述もあった。
リストは事件の数カ月前に経理の仕事を解雇された。このことを誰にも話さず、毎日着替えて駅まで車で行き、車に座って何時間も新聞を読んでから帰宅していた。
「多くの人々が、彼ら(リストの家族)がまだ生きられたはずだと考えるかもしれないが、最終的に彼らがキリスト教徒でなくなったとしたら、(人生から)何を得られるというのだろうか。また、多くの人々が『どうしてこんな恐ろしいことをできるのか』と言うだろう。――それは簡単なことではなく、よく考えた上でしかできなかったというのが私の唯一の答えだ」(リストの手紙)
手紙の日付は1971年11月9日だった。リストは当初、万聖節(11月1日)の8日前に家族を殺害する予定だったと明かしている。この日こそ「彼ら(家族が)が天国に行くのにふさわしい日」であると考えたからである。しかし、失踪の準備が遅れたため、この日に殺害するのを断念していた。
大規模な捜索が行われたにもかかわらず、リストは18年にわたり逮捕されなかった。それどころか、新しい名前を名乗り、コロラド州デンバーに移り住み、2番目の妻であるデロレスと出会っていた。
1989年、ニュージャージー州の検察官はリストを逮捕するための計画を立てた。彼らは、法医学の専門家であるフランク・ベンダーに依頼して、リストの胸像を作成。ベンダーは鉤鼻、白い毛が混じった眉毛、角縁のメガネを胸像に加えた。
同年5月21日、テレビ番組「America’s Most Wanted」でリストによる一家惨殺事件の特集が放映されたとき、2,200万人の視聴者がこの胸像を見た。そしてバージニア州リッチモンドの女性が、隣人のロバート・クラークという会計士とよく似ており、足繁く教会に通っていると情報提供。これがきっかけとなり、番組放映から9日後の6月1日、ついにリストは逮捕されたのだ。
関連記事
人気連載
“包帯だらけで笑いながら走り回るピエロ”を目撃した結果…【うえまつそうの連載:島流し奇譚】
現役の体育教師にしてありがながら、ベーシスト、そして怪談師の一面もあわせもつ、う...
2024.10.02 20:00心霊「天国に行けるように」家族を皆殺し、平然と新たな人生を送って18年…! 敬虔な男が凶悪殺人鬼に変貌した理由=米のページです。天国、一家惨殺、シリアルキラーなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで