村人全員消失・・・未だ解明されない史上最恐の「集団失踪事件」5選

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 原因や理由もなく、人間は消えてなくなりはしないものである。しかし記録をたどっていくと、歴史上には数々の集団失踪事件が残されている。中には奇怪そのものとしかいいようがない、原因も理由も方法も謎のままの事件もある。ここで、いくつかの奇怪な集団失踪事件を見てみよう。

■村人全員が消失したイヌイットの村

 20世紀に入ってからの集団失踪として知られているカナダ北部のイヌイット居住区での事件である。1930年の11月のことである。吹雪に襲われた毛皮のトレーダーのジョー・ラベルはカナダ北部のアンジクニ湖近くにあるイヌイットの村へ避難のために立ち寄った。

 その村は、イヌイットの村としては比較的裕福で人口1200人~2500人ほどであったという。しかし、そこで彼が見つけたものは、人一人いない村だったのである。彼は、村中を探し回るが、見つけたものは餓死して凍結した7匹の犬だけだった。カヤックも残されており、湖を渡ったとも考えられない。村の家は荒らされた様子もなく、イヌイットにとっては命綱ともいえるライフル銃などもそのままにされていたとのこと。食料品なども残されており、料理が置かれたままのデーブルなどもあったという。

 すぐにカナダ王室騎馬警察隊(RCMP)へ報告され、その後の調査においても村人は一人も発見されることなく、奇怪なことに最近掘り起こされた可能性が高い墓が数個確認されただけであった。

■ロアノーク植民地集団失踪事件

 ロアノーク植民地は、現在のアメリカ、ノースカロライナ州沿岸にある島で、16世紀後半にイギリスによるアメリカ大陸初の植民地となるはずであったが、島民全員が失踪してしまうという奇怪な事件のために現在でも「失われた植民地」としての名が残されている。

 ロアノーク島への入植は、1584年に一度失敗していたが、1587年にジョン・ホワイトが率いる約120名の入植者たちによって、2度目の植民地化が進められた。しかし、物資の不足や、悪天候に加えて近隣の現地住民であったクロアタン族との関係も平和的なものではなく、植民地としての発展は非常に困難であった。

 そこでホワイトは、現地の事情を説明し、物的・人的支援の要請のために一旦本国イギリスへ戻ることを決めた。島には自分の家族や友人たちを残し、3カ月で島へ戻ってくる予定で出発したホワイトであったが、おりしもイギリスはスペインとの「英西戦争」の真っ最中であり、支援を要請するどころか自身の船まで戦争のために押収され、ホワイトが再びロアノーク島に上陸したのは3年後の1590年の8月のこととなった。

 そして、そこでホワイトが見つけたものは、完全に撤去された村の残骸だけであった。入植者は一人も存在せず、どこへ消えたかの痕跡さえ見つけることが困難で、ただ見つけられたのは木に掘りつけられた「CROATOAN」と「CRO」という文字だけだった。入植者たちは、危険回避のために島を放棄する際には木にマルタ十字を刻む取り決めがされていたが、それも発見することはできず、どこへ消えていったかは謎のままである。仮に疫病の集団感染ならば、死体や墓の跡があるはずで、他部族からの襲撃であれば、争った痕跡は残されているはずである。暗号のような謎に満ちた言葉だけが残された奇怪な集団失踪である。

■ブラジルのオウロ・ヴェルデの村での集団失踪

 1923年2月5日、ブラジルのオウロ・ヴェルデの人口600人ほどの村を訪れた旅行者たちが見つけたものは、一人の村人も残されていない村の残骸であった。家や建物からは、さまざまな私物や食料品までもが残されたまま、まるで村人たちが大急ぎで村を放棄したかのように見受けられたという。

 すぐに当局による調査が開始されたが、残されたヒントとなるようなものは少なく、発射残渣が残っている銃と黒板に殴り書きされた「どこにも救いはない」というメッセージだけであった。ゲリラや麻薬カルテルなどの襲撃による緊急的な避難であったとも考えられたが、それを示す証拠もなく、結局この集団失踪も不可解な謎を残したまま未解決となっている。

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■ローマ第9軍団の集団失踪

 紀元前65年に創設されたといわれているローマ第9軍団もまた、忽然と姿を消してしまった集団のひとつとして知られている。数あるローマ軍のなかでも、高度に訓練された最強の精鋭部隊として知られた第9軍団は、当時アフリカ、ドイツ、スペイン、イギリス、バルカン諸国など各地で活躍し、その強さと名声を鳴り響かせていた。

 そして紀元2世紀、スコットランドからの攻撃に対抗するためにローマ第9軍団は前線へと出陣する。神秘的なシャーマンが古代ケルトの神に捧げるドラムを叩くなか、原始的なフェイスペイントに裸のままクマや狼の毛皮をまとい、狂ったように暴れる野蛮な戦士たちの集団ともいえるスコットランド軍を相手に、第9軍団は苦戦を強いられてはいたが勇敢に前線を北へ伸ばしていた。

 しかしその進撃の途上で、ローマ第9軍団は突然その消息を絶ってしまったのである。民間人の集団ではなく、当時世界一といわれた数千人の部隊が、まるごと消えてしまった。1954年に出版され、映画化もされた『第9軍団のワシ』をはじめ、この集団失踪に関してさまざまな出版物や映像によって話題にされてきたが、いまだに決定的な結論に至ってはいない。

■南京の中国兵士集団失踪事件

 ローマ第9軍団と同様に、軍の部隊がまるごと消失してしまったケースは他にもある。1939年、日中戦争の最中に南京で中国人部隊がまるごと消えてしまったのである。

 中国・国民党軍の大佐であったリー・フーシェンは、日本軍からの攻撃に対抗するためにいくつもの師団を招集し、長江に配備した。重兵器をそなえた3000人もの兵士が集まり、3.2キロにも及ぶ防衛ラインを築き、来るべき日本軍の襲来を待ちかまえていた。

 配備が完了し、いったん作戦本部に戻った大佐は翌朝、配備されたはずの兵士たちと連絡が取れないという報告によって起こされた。現場へ確認に行くと、配備された銃器類はそのまま残されていたが、3000人の兵士たちの姿は消えていたのである。現場には血痕などの戦闘の跡もなく、その3000人の兵士たちがどこへどうやって消えていったかは謎に包まれたままである。


 その他にも、1954年に広東から上海へ向かう乗客数百人を乗せた列車が、列車ごと消えてしまった例や、100名を超えるソビエト軍が駅へ向かう途中でルートを外れ、そのまま消えてしまった例などもあり、集団消失の例は少なくはない。そのどれもが、これといった痕跡を残さず、もしくは不可解な証拠のみを残し、行き先も移動手段もわからずじまいである。UFOがらみの集団拉致という説も、パラレルワールドに落ちていったという説も、プラズマによる物理的消失であるという説も、仮説はいくらでも出てくるが、どれも決定的ではない。しかし、現実に集団消失は起きており、これから再び起きないとも言えない。謎は謎のままなのだろうが、巻き込まれたくはないものである。

参考:「Mysterious Universe」、ほか

 

※2016年の記事を再編集して掲載しています。

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