日本UFO史上最重要人物「宇宙友好協会」代表・松村雄亮の超絶エピソード!高尾山でUFOに遭遇、長老宇宙人から告げられた戦慄の未来!

――超能力、心霊現象、UFO、など、いわゆる「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が解説!

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 1959年7月10日の夜のことであった。

 男は、東京での打ち合わせを済ませ、午後11時半ごろ横浜の国電桜木町駅に着いた。

 夜も遅く、タクシーもつかまらなかったので、もはや人通りもすっかりなくなった道路を自宅まで歩くことにした。

 日の出町の交差点を左折し、しばらく進むと前方から車が走ってきて、ヘッドライトの中にこちらに向かって来る3人の女性のシルエットが浮き上がった。すれ違う際、一番左にいた女性の顔が見るともなく視界に入った。すると、その女性が男に向け、不思議な笑み浮かべたように思われた。

 ほんの10歩ほど過ぎたとき、なんとなく後ろを振り返ってみると、もはや3人の姿はなかった。すれ違った場所は一本道で、横にそれるような路地もない。不思議に思いながら男がふと上空を見上げると、そこにはフットボールほどに見えるUFOが浮いており、横浜松竹の屋根の上を、右から左へと悠然と横切って行った――。

■UFO研究の黎明期における最重要人物

日本UFO史上最重要人物・松村雄亮! 北欧系宇宙人と喫茶店で●●… 元懐疑派カルトリーダーの謎の画像2
松村雄亮 『Brother』(CBA)創刊号より引用

 男の名は松村雄亮(まつむら ゆうすけ)。日本のUFO研究団体である「宇宙友好協会(CBA)」共同設立者の一人である。

 日本のUFO界において、松村ほど評価の分かれる人物は他にいないだろう。

 CBA以外の日本の研究団体からは、CBAをカルト宗教化し、「CBA事件」を起こした張本人とされる。

 他方、ブリンズリー・ル・ポア・トレンチやジョージ・ハント・ウィリアムソンなど海外の研究家とも密接な関係を維持し、イギリスのUFO専門誌『フライングソーサー・レビュー』の日本特派員を長く務めた人物でもある。そして、日本では最初期に現れたコンタクティーでもあるのだ。

 松村とは、どういう人物だったのだろうか。

■日本UFO史の夜明けとともに

 松村は1929(昭和4)年11月25日、横浜に生まれた。

 父・信雄が航空関係の仕事をしていたこともあり、小学校時代に旧満州に渡り、16歳で「満州航空」の乗員訓練養成所に入所した。終戦後は一旦シベリアに抑留されたようだが、1946年に日本に戻り、その後は国際的な航空雑誌『インタラビア』の日本特派員となった。

 かの有名な「アーノルド事件」が発生し、UFOの存在が世界に認知されたのは、松村が帰国した翌年、1947年のことだった。世界中の航空情報に接する立場にあった松村は、早くからUFOの存在を知り、この現象に興味を抱いた。そこで彼は、空飛ぶ円盤研究グループという研究団体を結成し、英文の『UFO News Report』という機関誌を発行し始めた。

 やがて荒井欣一を会長に「日本空飛ぶ円盤研究会」が結成されると、松村の団体もこれに協力し、松村本人も機関誌『宇宙機』に何度も寄稿している。1957年、日本のUFO研究団体が連名で発出した「宇宙平和宣言」にも、松村は名を連ねている。

 松村が1957年1月16日に撮影したUFO写真は、他の団体からも高く評価されることになったが、この頃の松村はアダムスキーなどのコンタクト・ストーリーに対しては懐疑的であり、荒井欣一がアメリカのコンタクティー、バック・ネルソンの紹介記事を『宇宙機』に掲載しようとしたところ、「この人物は怪しいからやめた方が良い」と忠告したのも松村だった。

 CBAの結成は、1957年8月のことだった。

 設立したのは松村の他、久保田八郎、小川定時、桑田力、橋本健、小川昌子の計6名で、設立の趣旨としてコンタクトを肯定し、宇宙人との友好関係に入ることを目標に掲げていた。

 コンタクトには否定的であった松村が、なぜこのような団体の設立に名を連ねたのかは明らかでない。あるいは、荒井欣一や高梨純一といった他の研究家に対するライバル意識が背後にあったのかもしれない。いずれにせよ松村には、その豊富な海外ネットワークを利用した情報収集とその提供が期待されていた。

 ところが、そうした松村が、冒頭に述べた事件を機に、なんと自ら宇宙人とコンタクトし、以後は「コンタクトマン」としてCBAを率いることになるのだ。

画像はUnsplashArtem Kovalevより

■宇宙人との邂逅

  すでに1958年6月17日には前兆があった。

 このとき松村は、やはり桜木町駅におり、東京に向かうため改札を入ったところだった。その日は、駅の構内に打ち水がしてあった。そこで、打ち水の場所に足を踏み入れた何者かの足跡が、その先にくっきりと残っていた。松村にはその足跡に見覚えがあった。なんと、アダムスキーが会見したという金星人が、砂漠に残した靴跡とそっくりだったのだ。

 アダムスキーのコンタクト・ストーリーに否定的だった松村は、衝撃に打ちひしがれながらも、その足跡の主を追った。しかし、その人物は一足違いで発車した電車に乗って行ってしまった。


 本格的なコンタクトは、冒頭の事件の1週間後、7月17日に起始まった。

 夕方7時頃、桜木町駅に着いた松村は、折からの夕立の中、市電に乗ろうと書類袋を頭にかざして停留所まで走った。そのとき書類を掲げる右腕が誰かに触れ、思わず

「失礼」

と言いながら振り向くと、そこには1週間前の夜、不思議な微笑を残して消えたあの女性がいたのだ。2人は近くの喫茶店に入った。そこでこの北欧系の顔立ちの美女は、自分が最近日本に配属された宇宙人の一人であること、松村は近々、日本にいる宇宙人の指揮官に会うことになる、などと話した。

 この時2人はコーヒーを注文したが、女性はコーヒーに入れるべきミルクをコップの水に注いで飲み、コーヒーには手をつけなかったという。

 松村が日本の宇宙人指導者に会ったのは、3日後の7月20日のことだった。

 会合へと向かう松村が渋谷の道玄坂を歩いていると、何者かに肩をたたかれた。振り返ると、総髪の品の良い外国人紳士が立っている。なぜか、一目見て宇宙人であると了解できた。

 この時、宇宙人は自らについて「日本にいる宇宙人達のキャップである」と名乗り、25日に高尾山頂にUFOが飛んだら、松村をUFOに同乗させると約束した。実は、CBAは25日を「第一回 全日本コンタクト・デー」と定め、その夜、全国でUFOに呼びかけることになっていた。そして、東京地区での実施場所こそ高尾山だったのだ――。

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