「孕メ三七」青木ヶ原樹海で見つけた不気味な暗号
※当記事は2015年の記事を再編集して掲載しています。

自らの人生に何らかの葛藤や不安、恐怖といった感情を抱え、人知れずその幕引きを図ろうと、「終の地」を求めて彷徨い歩いた末に、ゆっくりとその骸を横たえる青木ヶ原樹海。国の天然記念物に指定されていながらも、自殺の名所として知られるこの地は、彷徨い人たちの遺した形見とも言うべき数多くの謎めいた残置物が、無言でその時を刻み続けている。
実際に訪れてみればわかることであるが、この青木ヶ原樹海は、定着している「自殺の名所」「心霊スポット」というイメージとは裏腹に、遊歩道が整備され、付近にはキャンプ場や公園などがあるなど、森林浴を楽しむには最適な場所となっている。そのため、日の高い時間に訪れると、ハイカーや観光客とすれ違うことも珍しくない。
無論、そのイメージから言えば、そうした人々のなかにも、一見、大自然の魅力を堪能しているかに見えて、その実、死地を求めて彷徨い歩いている人も含まれているのではないかと妙な勘ぐりを持ってしまう。しかし、彼らが醸し出している穏やかな雰囲気やその笑顔を見るに、どうやらそれはただの邪推で、彼らは本当にその懐豊かな大自然が持つ、美しく幻想的な空気に魅せられているようだ。
そんな陽の一面がありつつも、彼らが歩く遊歩道から少しずつ外れ、蜘蛛の巣を掻き分けて歩き始めると、そうした穏やかな日常とは相容れない世界が、そこには広がっている。



樹海の魅力に惹かれ、周囲を探索する人の間では有名だが、遊歩道から外れて少し奥へと足を踏み入れると、訪問者たちは慈愛に満ちた純白の観音像に出迎えられる。無論、誰が設置したのかは定かではない。その身には「命大切」という文字が刻まれ、それがこの地を訪れる者に対して、自殺を思い止まらせる意味あいが込められていることは、誰の目にも、想像するに難くない。深い悩みを抱えた者も、悲嘆に暮れる毎日を過ごす者も、さらにはそうした感情ですらも奪われ、生きた亡者のごとく、時間だけが流れ続けるような日々を送る者でさえも、願わくはその想いを大自然の中へと捨て去り、今来た道を引き返してほしい。そんな物静かながらも強い想いが、ひしひしと伝わってくる。
しかし、この地を彷徨う旅人の中に、その想いに気づく者がどの程度いるのだろう。この地で1年間に発見される自殺体の数を鑑みれば、自ずとその答えが見えてくるというものだ。

しばしの散策の後で、今度は遊歩道のない139号線からふらりと入り、少し歩くと、小さいながらも一際目を引く、道標のようなものに出くわす。全体的には古いコンクリートか、石質のものでありながらも、その表面にはなぜか「孕メ三七」の文字が刻まれ、そもそもこれが本当に道標なのかどうかですら怪しいという、なんとも奇異な代物だ。

仮に「メ」をカタカナであると考えれば、昨日今日作られたものではないと考えられるし、またその読みを「ハラメサンシチ」などとすれば、七文字となるため、上の句を加えて「五七調」の一句とし、さらに前後を加える形で「五七五」「五七五七七」のような形の句にもすることで、意味の通る内容にすることも可能かとは思う。
今回の散策では、その「見えない意味」を、補完できるようなものは発見できなかった。もしかすると、この広い樹海のどこかには、そうした意味を持つものが隠されているのかもしれない。呪詛か、隠語か、はたまた何かの暗号か。一体、その文字の意味するところは何なのだろうか。
「胎内の記憶 花咲く樹海に入り」。句集『菫歌』などで知られる俳人・たむらちせい氏は、かつて樹海についてこの句を詠んだ。観音像の設置主は、その想いを誰に向けたのか。道標に込めたその謎めいた文字は、どのような思念を持つ者が刻んだものなのか。
傍らにうち棄てられたスニーカーの持ち主は、その後、自らが求める胎内へと無事に辿りつけたのか。未知の動植物が持つ力強い生命力に彩られ、日々数多の人々をその胎内へと招き入れるこの森は、今日もその深い懐の中で、その子供たちに、仮初の安息と、終の地を与え、物静かに佇んでいる。

(写真/文=Ian McEntire)
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