【都市伝説】ロシア代表は「2週間遅れて」オリンピックに来た!? 紀元前のカレンダーを使い続けた帝国の悲劇の真相とは

ネット上の雑学界隈で、定期的に浮上する不気味……というか、マヌケな伝説がある。1908年のロンドンオリンピックで、ロシア帝国代表が「2週間も遅刻して会場に現れた」という話だ。
理由は、ロシアが当時まだ「ユリウス暦」を使っていたから。カエサルが紀元前45年に制定した古いカレンダーに固執した結果、世界標準の「グレゴリオ暦」との間に13日間のズレが生じ、気づいた時には競技が終わっていた……というわけだ。
この手の「カレンダーの罠」は、時空の歪みを扱うミステリーのようでワクワクする。しかし、この話、果たしてどこまで本当なのだろうか?
カレンダーが「消失」した歴史の特異点
まず、歴史的事実として、世界がカレンダーの切り替えに苦労したのは事実だ。
私たちが今使っているグレゴリオ暦は、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世によって導入された。それまで使われていたユリウス暦は、1年がわずかに長すぎたため、数百年経つうちに季節(春分の日)と日付がズレてしまったのだ。
このズレを修正するため、切り替えの瞬間、世界は「日付を飛ばす」という荒業をやってのけた。例えばローマ教皇庁は1582年10月4日の翌日をいきなり「10月15日」にした。つまり、歴史上、世界から消えてしまった10日間が存在するのだ。
イギリスやアメリカが切り替えたのは1752年、トルコに至っては1920年代だ。そしてロシアがようやく切り替えたのは、ロシア革命後の1918年2月14日。1918年1月31日の翌日が、いきなりバレンタインデーになった計算だ。このあまりの「遅れ」が、オリンピック遅刻伝説の絶好のネタになったのである。

ロシアの射撃チームは本当に「13日遅れた」のか?
ネットの噂では、「ロシアの射撃チームが13日遅れでロンドンに到着し、すでに競技が終わっているのを見て呆然とした」と語られる。ロシアのメディアですら「イギリスが200年前にカレンダーを変えていたのを忘れていた」と自虐的に報じたこともある。
しかし、当時の公式記録を洗ってみると、意外な事実が見えてくる。
実際のところ、1908年のオリンピックに参加したロシア人選手は、わずか6名に過ぎなかった(そのうち4名はレスラー)。当時、ロシア政府はオリンピックにほとんど関心がなく、選手たちは自費や所属クラブの支援で勝手に参加していたのである。
射撃種目の記録を見ても、ロシアが「遅刻欠場」したという記載はない。むしろ、欠場(Absent)として記録されているのはイタリアやオーストラリアだ。つまり、ロシアチームはそもそもエントリーすらしていなかった可能性が高いのだ。

都市伝説という名の「時空のズレ」
ロシアは当時、すでに外交や貿易で他国とのカレンダーのズレには慣れっこだった。オリンピックという国家の威信をかけた舞台(といっても当時はまだ牧歌的だったが)で、これほど初歩的なミスを犯すとは考えにくい。
一見すると「歴史の隙間に起きたマヌケな悲劇」に見えるこの話。その正体は、ロシアが世界標準のカレンダーを頑なに拒み続けたことへの、皮肉まじりのジョークがいつの間にか都市伝説化したものだろう。
日本では「遅刻は厳禁」が美徳とされるが、カレンダーそのものが13日もズレていた時代の感覚は、現代の私たちには想像もつかないカオスだったに違いない。
結局、ロシアが1908年のオリンピックで振るわなかった本当の理由は「カレンダーのズレ」ではなく、単に「興味がなかった」という身も蓋もないものだったようだ。もし本当に13日遅れで現れて「あ、終わってる……」と立ち尽くすロシア男たちの写真がどこかに眠っているなら、ぜひ拝んでみたいものである。
参考:IFLScience、ほか
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