駐車所から「イギリス国王」の遺骨が連続出土の怪事! 偶然か必然か…血塗られた王室の歴史
昨年9月、イギリスのイングランド中部・レスターの駐車場の地下から、イングランド王ヘンリー1世(在位1100~1135年)とみられる遺骨が発見された。王の亡骸が駐車場に埋まっていたというのは、何とも嘆かわしい話だが、実はこれが初めての例ではない。2012年には、同じレスター市内の別の駐車場からリチャード3世(在位1483~1485年)の遺骨も発見されているのだ。立て続けに起きた怪事は、イギリス国内のみならず世界的な話題となっている。
長い年月を経て、古の王の墓所が忘れ去られることは少なくないが、人里離れた場所ではなく、人々が生活する場所で、しかも駐車場から王の遺骨が発見されるのは世界的にもまれだ。その背景には、恐ろしいほどに血塗られた歴史を持つイギリス王室の闇があり、そして一人の暴君が大きく関わっていた。
ヘンリー1世は、現在のイギリス王室の始祖で、イングランドを征服してノルマン朝を興したフランスのノルマンディー公・ギヨーム(ウィリアム1世、在位1066~1087年)の末子で、兄のウィリアム2世(在位1087~1100)の亡き後、王位を受け継いだ。その際に、ノルマンディー公領を相続していた長兄のロベールも王位継承権を主張したが、ロベールを捕えて、目をくりぬいて死ぬまで幽閉してしまったと伝わっている。ヘンリー1世は、自身が建立したレスターのレディング修道院に埋葬されたとされるが、正確な場所が分からなくなってしまったのは、それから約400年後のヘンリー8世(在位1509~1543年)による横暴かつ残虐な振る舞いのせいだ。
ヘンリー8世は、離婚したいがために自ら宗教を作ってしまった暴君で、生涯に6人の妻を持ち、離婚のたびに、元妻に姦通罪の濡れ衣を着せて処刑したことで知られる。最初の妻との離婚を認めないローマ教皇と対立し、イギリス国教会を設立して、ローマ・カトリック教会から分離した際に、レディング修道院は解散させられている。それに抵抗した修道院長は、敷地内で絞首刑、腹裂きの刑、斬首刑を組み合わせた残虐刑によって処刑され、それ以後、跡地は打ち捨てられたままになっていた。ヘンリー1世とみられる遺骨が発見された駐車場は、かつて修道院の一部だった場所で、現在、遺骨のDNA鑑定が始まっている。
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2024.10.02 20:00心霊駐車所から「イギリス国王」の遺骨が連続出土の怪事! 偶然か必然か…血塗られた王室の歴史のページです。イギリス、国王、遺骨、中野龍、ヘンリー1世、リチャード3世などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで