【世界ふしぎ再発見】駐車所から「イギリス国王」の遺骨が連続出土の怪事! 偶然か必然か…血塗られた王室の歴史

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kinghenry_06.jpgリチャード3世「Wikipedia」より引用

 同じくレスターで遺骨が発見されたリチャード3世の場合も、やはりヘンリー8世が絡んでいた。伝承によれば、リチャード3世は、ヘンリー・テューダー(ヘンリー7世、在位1485~1509年)と王位を争ったボズワースの戦いで敗死し、敵軍が近くのレスターで裸にした遺体をさらした後、地元のグレイフライヤーズ修道院に埋葬したとされている。しかし、この修道院も後にヘンリー8世によって壊されており、正確な跡地は長らく不明のままだった。

 2012年の考古学調査によって、駐車場が修道院跡であることが分かり、そこから発掘された遺骨は、DNA鑑定によってリチャード3世であることが確認された。そして遺骨の状況から、矢じりが刺さったままの傷など生存中に9カ所も負傷し、さらに大きく曲がった背骨、頭部の致命傷から、戦場で引きずり下ろされ、無理やり地面に這いつくばらされて殺害されるという壮絶な最期を遂げたことまで明らかになった。

 どの国の王家にも多少なりとも血生臭い歴史はあるものだが、現在まで続く王家としては世界最古とされる日本では、壬申の乱で敗れて自害した弘文天皇(大友皇子、在位672年)、壇ノ浦で入水した安徳天皇(在位1180~1185年)がいるが、歴代の天皇で殺害されたのは、蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇(在位587~592年)だけである。

kinghenry_04.jpgリチャード3世の遺骨「The Times」より引用

 一方、イングランド王は10世紀以降で分かっているだけでも、エドマンド1世(在位939~946年、殺害)、エドワード殉教王(在位975~978年、暗殺)、ハロルド2世(在位1066年、戦死)、リチャード1世(在位1189~1199年、戦傷死)、エドワード2世(在位1307~1327年、暗殺)、ヘンリー6世(1422~1461年、暗殺)、リチャード3世(戦死)、ジェーン・グレイ女王(在位1533年、処刑)、チャールズ1世(在位1625~1649年、処刑)が殺されている。ほとんどが王位争いに絡んだもので、その中には年端もいかぬ10代の若さで惨殺された王もいる。

 日本の天皇家とは異なり、イギリス王室はノルマン朝から現在のウインザー朝に至るまで血脈を継いではいるものの、何度も王朝が交代している。駐車場から立て続けに王の亡骸が発見されたのは、単なる偶然ではなく、血で血を洗う争いを続けてきたために、異なる王朝の王を敵視し、畏敬の念が薄いことが遠因といえる。駐車場の亡骸は、イギリス王室の闇の深さの証明でもあるのだ。
(文=中野龍/フリーランスライター)

●中野龍(なかの・りょう)
1980年東京生まれ。日本大学文理学部史学科(日本近現代史専攻)卒。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経て、フリーランス。

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