同じ航空会社の旅客機が16年の時を隔て、ほぼ同じ斜面に激突! モンブランが「エア・インディアの呪われた山」と呼ばれる理由

ヨーロッパの屋根と呼ばれるアルプスの最高峰モンブラン。この山には、同じ航空会社の旅客機が16年の間隔を空けて、ほぼ同じ場所に墜落したという記録が残っている。
犠牲者は2機で合わせて165人。単なる不運の重なりか、地形が生んだ罠か。いつしかこの山は「エア・インディアの呪われた山」とも呼ばれるようになった。
「マラバール・プリンセス」と「カンチェンジュンガ」、2機の悲劇
最初の事故は1950年11月3日。ボンベイ(現ムンバイ)発ロンドン行きのエア・インディア245便、ロッキード・コンステレーション機「マラバール・プリンセス」が、厚い雲に覆われたモンブランに激突した。
同機は1948年6月、独立間もないインド初の国際線就航を担った記念すべき機体の一つだった。ジュネーブへの降下中、午前10時43分に標高約4677mのトゥルネット岩付近、フランス側斜面に衝突。乗客40人と乗員8人の全員が亡くなった。

この惨事は作家アンリ・トロワイヤの小説の題材にもなり、後に映画化されている。
それから16年後の1966年1月24日、同じ航路を飛んでいたエア・インディア101便のボーイング707「カンチェンジュンガ」が、やはりジュネーブへの進入中にモンブランへ衝突する。場所は前回とほぼ同じ地点で、搭乗していた117人全員が犠牲となった。
同じ会社、同じ航路、同じ斜面に重なった「偶然」
同じ航空会社、同じ航路、同じジュネーブへの降下段階、そしてボソン氷河側のほぼ同じ区域。どちらも生存者はいなかった。
調査当局の見解は明快で、乗員が位置を読み誤ったというものだ。すでにモンブランを越えた、あるいは十分な高度で上空を通過していると思い込み、早すぎる降下を始めたとされる。悪天候に加え、無線頼みの航法しかなかった時代の限界も重なった。
標高約4805mのモンブランは、東からジュネーブに向かう便の進入経路上にそびえている。説明としては筋が通っているが、2度目の事故には別の見方もくすぶっている。
101便には、インド核開発の父とされる物理学者ホーミー・J・バーバー博士が搭乗していた。博士は前年、インドは命令があれば18か月で原爆を作れるとの趣旨をラジオで語っていた。事故の13日前にはシャストリ首相がタシケントで急死している。冷戦下、ここから暗殺説が生まれたが、それを裏付ける確かな証拠は示されていない。
また、両事故を長年調べてきたフランスの探検家ダニエル・ロッシュ氏は、101便の残骸が広範囲に散らばっていた点に注目し、軍用機との衝突やミサイル説を唱えた。ただし当局はこの説を採っておらず、議論は愛好家の間にとどまっている。

溶けゆく氷河が差し出し続ける「遺品」
この山の物語が今も終わらないのは、氷河が少しずつ過去を返してくるからだ。2機の残骸はボソン氷河に埋もれ、氷の流れとともに谷へ下ってきている。
2008年にはロッシュ氏がマラバール・プリンセスのエンジンを発見。2013年には登山者が、24万5000ユーロ超と見積もられた宝石入りの金属箱を見つけた。2020年には、事故前日の1966年1月23日付の新聞と、707のエンジンが姿を現している。半世紀以上を経てなお読める新聞は、まるでタイムカプセルだ。
長く追悼の場所がなかった犠牲者のために、2019年、麓のニ・デーグルにケルン型の慰霊碑が建てられた。積み石はインドとフランスの絆を表しているという。

二度の悲劇は、悪天候と航法の限界が招いた不運の連鎖だったのだろう。それでも、同じ斜面に吸い寄せられた2機の記憶は、氷河が後退するたびに少しずつ地上へ戻ってくる。この山がすべてを語り終える日は、まだ先なのかもしれない。
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2024.10.02 20:00心霊同じ航空会社の旅客機が16年の時を隔て、ほぼ同じ斜面に激突! モンブランが「エア・インディアの呪われた山」と呼ばれる理由のページです。飛行機事故、アルプスなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで


