「仮面の男」は王の双子か、ただの従僕? 34年の幽閉記録から追うルイ14世時代最大の秘密

顔を隠されて監獄を転々とし、死後は偽名とみられる名で葬られた男がいる。太陽王ルイ14世の時代、34年にわたって幽閉された「仮面の男」だ。
王の双子として語られることが多いが、記録をたどると伝説とはかなり違う姿が現れる。そもそも仮面は鉄製ではなかったらしい。それでいて、肝心の正体だけは今も決着していない。
何重もの扉と死の脅し、1669年の書簡が命じた異様な監禁
確かな記録の出発点は、1669年7月19日付の書簡だ。ルイ14世の陸軍大臣ルーヴォワ侯爵が、ピネローロ(当時はフランス領)の監獄を預かるサン=マールに、ユスターシュ・ドージェという囚人の到着を予告した。
歴史家の研究が伝える指示は異様なほど細かい。外から話を聞かれないよう扉を何重にも備えた独房を用意し、サン=マールが会うのは食事などを届ける1日1回だけ。身の回りのこと以外を口にすれば殺すと本人に告げよ、というものだった。
ところが同じ書簡で、ルーヴォワはこの男を従僕にすぎないと片づけている。囚人の名前だけ本文と筆跡が違い、ルーヴォワ本人が後から書き入れた可能性も指摘されている。
囚人はその後もサン=マールの転任に伴って移され、エグジル、サント=マルグリット島を経て、1698年にバスティーユへ入った。この特別扱いは高貴な血筋の証拠と読まれてきたが、機密を知る厄介な目撃者だったと考えても説明はつく。

仮面は鉄ではなく黒いビロード、では誰が「鉄」に変えたのか
バスティーユの国王代理官デュ・ジュンカの記録によれば、黒いビロードの仮面の囚人は1703年11月19日、ミサの後に体調を崩し、その夜10時に息を引き取った。
翌日、サン=ポール教区の墓地に葬られた際の名は「マルキオリ」(つづりは文献により揺れがある)で、偽名とみられている。
仮面の着用も常時ではなかった。公式文書から確認できるのは1687年以降の移送時と、晩年にバスティーユで礼拝へ向かうときだ。発案者はサン=マール自身で、自分の囚人を大物に見せる狙いがあったとみる歴史家もいる。
これを「鉄」に変えたのがヴォルテールだとされる。彼自身もバスティーユに投獄された経験を持つ。1771年の著作では、囚人を王母アンヌ・ドートリッシュの隠し子、つまりルイ14世の兄だと主張している。
双子説を物語として世に広めたのが、1850年のデュマ『ブラジュロンヌ子爵』だ。日本でも明治期に黒岩涙香の翻案小説『鉄仮面』が新聞に連載され、長く読み継がれた。
1789年のバスティーユ襲撃で鎖につながれた遺骸が見つかったという話も広まったが、男の死から80年以上が過ぎており、史実とは認めがたい。

「フーケの世話係」になった囚人が揺さぶる王族説
双子説は物語としては抜群だが、専門家の評価は低い。王の誕生には多くの立会人がおり、もう一人の赤子を示す確かな文書もないためだ。ほかにもアンヌとマザラン枢機卿の隠し子、陰謀に関わった貴族、危険な協定を知る外交官といった説が挙がっている。
比較的慎重な見方の一つとして挙げられるのが、機密に関わった使用人説だ。派手さはないが、当時の秘密主義にはよくなじむという。
これを補強するのが、失脚した財務卿ニコラ・フーケとの関係だ。ドージェは1675年、同じ監獄にいたフーケの世話役を条件付きで務める許可を受けた。貴族が従僕を務めるとは考えにくく、庶民の出を強く示すと研究者はみる。
それでも謎は残る。ドージェという名が本名かどうかは歴史家の間でも意見が分かれ、彼が投獄前にどんな仕事をし、何を見たのかは特定されていない。
王子だったなら、幽閉には国家の事情という理由が立つ。だが従僕だったとすれば、王権は何かを見ただけの使用人を、説明もなく34年間閉じ込めておけたことになる。双子説が200年以上も愛されてきたのは、そのほうがまだ救いがあるからかもしれない。
参考:Espacio Misterio、Wikipedia「Man in the Iron Mask」、Wikipedia「鉄仮面」
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2024.10.02 20:00心霊「仮面の男」は王の双子か、ただの従僕? 34年の幽閉記録から追うルイ14世時代最大の秘密のページです。ルイ14世、仮面の男、鉄仮面などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで
