>  > アンネの通謀者をAIで特定か、秒速で特定へ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • コメント0

1706_childchangeworld_2.jpg

 アンネ・フランクの隠れ家をナチスに密告したのは誰か? 75年にもわたりこの謎はベールに包まれたままだ。しかし最近になり、元FBI捜査官がAIを使い特定に励んでいる。


■オランダに逃れたアンネの家族の居場所を通謀したのは誰か

 元FBI捜査官のヴィンセント・パンコーク氏は、現役時代に南米の麻薬カルテルを次々と検挙するなど、闇組織や真犯人の検挙においては一目置かれた存在だ。その彼が、今度は外国の、それもはるか遠い昔にヨーロッパに存在した密告組織の協力者を特定するべく、真相解明に取り組んでいる。

 パンコーク氏の執念を見ながら、彼の妻は「引退後は夫婦で旅行できると思っていたのに、あなたは捜査をやめないのね」と、老後のゆったりとした生活は半ば諦めモードで夫を支えているという。パンコーク氏の最大の武器「AI」を駆使し、20名の調査員と共にナチスの密告者リスト、フランク家の支援者たち、警察調書などを総合的に解析している。その結果、アンネの父親の豊富な人脈が密告の悲劇を招いた可能性が見えてきた。

merwedeplein1.JPG
アムステルダムでフランク家が暮らしていたアパート 画像は「Wikipedia」より

 アンネの父、オットー・フランクは、第一次世界大戦ではドイツ将校に昇格するほど活躍した。ドイツからも高く評価され、ヒトラーも軍服に着けている一級鉄十字章を受賞するほどであった。

 オットーは退役後にドイツの銀行家として活躍したが、ナチスが第一党になると身の危険を感じ、家族を連れて隣国オランダに亡命した。そして、アムステルダムの運河沿いでジャム作りに使うペクチンの製造会社を経営し、その建物で従業員をマネジメントしながら新生活を始めた。

 運河沿いの建物は、伝統的に運河から見える表向きの部屋と裏側の部屋があるのが普通であり、オットーの会社の建物もこうした造りだった。しかし、第二次世界大戦が開戦するとナチスのユダヤ人狩りがオランダにまで及び、フランク一家はこの建物の「裏側の部屋」に生活の拠点を移して表側から見えないように暮らさざるを得なかった。

 従業員はそのまま表側にあるオットーの会社で勤務を続け、裏側にあるフランク家を隠していた。人脈豊富なオットーには支援者も多く、従業員以外にも、ナチスに隠れてフランク家に食料を運ぶ者も複数いた。ところが、1944年に誰かがナチスに密告したことで見つかってしまい、一家はそのまま通貨収容所を経てアウシュヴィッツ強制収容所に送還されてしまった。

 終戦後、結局オットーのみが生き残ったが、1980年に死去するまで結局内通者を探し出すことができなかった、密告者は従業員ではないか? いや、それそも身近な誰彼ではないか? さまざまな臆測が飛び交ったがいまだ特定には至っていない。

コメントする

お名前
コメント
画像認証
※名前は空欄でもコメントできます。
※誹謗中傷、プライバシー侵害などの違法性の高いコメントは予告なしに削除・非表示にする場合がございます。