その命名の謎とは? 天下五剣の1振り「鬼丸国綱」とは(後編)

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 鬼丸国綱(おにまるくにつな)。明治以降に刀剣関係者の間で定められた、日本を代表する5振りの名刀「天下五剣」に数えられる、由緒正しい名刀のひとつです。

onimaru1-1.jpg鬼丸国綱。画像は「つるぎの屋」より引用

 今回は前編で最後に触れた、「太平記に収録されている、ただの”国綱の太刀”に”鬼丸”と名の付いた由来の物語には大きな矛盾がある」という点を解説します。まずは鬼丸国綱の来歴からご紹介していきましょう。

■所有者遍歴の激しい名刀

 鬼丸国綱の来歴と持ち主の遍歴を簡単にまとめます。一部では冗談半分に「鬼丸は持ち主に不幸を呼ぶ刀」と呼ばれている理由もご理解頂けるかと思います。

 後に「鬼丸国綱」と呼ばれる太刀は、鎌倉幕府の5代目執権である「北条時頼(ときより)」から命令を受けた刀匠、粟田口国綱が作刀したものです。

 当然のことながら、鬼丸国綱の最初の持ち主は「鎌倉幕府および5代目執権の北条時頼」となります。

 そしていつの事かは不明ですが、鬼丸国綱は北条の一族である名越家に移っています。1333年4月、北条高家(名越高家とも)が「山崎の合戦」において鬼丸国綱を振るい奮戦したものの、ついに討ち死にした、という記録が残されています。

 合戦の最中で持ち主が死んでしまったものの、鬼丸国綱は運良く北条嫡家へと戻れたようで、北条高家の死後は第14代執権の北条高時の持ち物となります。

 その後、北条高時は権力争いに敗れ自害するのですが、その前に「これだけは」と、鬼丸国綱を次男である北条時行に持たせ、信濃国(現在の長野県)へと逃れるよう指示しました。

 信濃国へと落ち延びた北条時行と鬼丸国綱でしたが、ここで持ち主は時行の兄、邦時へと移ります。

 ですが、父の願いもむなしく、北条邦時は新田義貞に討ち取られ戦死。鬼丸国綱は分捕られ、新田義貞の持ち物となります。

 そして新田義貞もまた後に討ち取られ、鬼丸国綱は斯波高経(足利高経とも)に分捕られました。

 その後、鬼丸国綱を巡って斯波高経と足利尊氏は一悶着を起こした、と伝わっていますが、ひとまず斯波高経の子孫によって鬼丸国綱はいつの間にやら足利家に献上され、足利家秘蔵の名刀となりました。

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