その命名の謎とは? 天下五剣の1振り「鬼丸国綱」とは(後編)

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onimaru2-1.jpg集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 三より、鬼丸拵の詳細。画像は「国会図書館デジタルコレクション」より引用

 しばらくは足利家の秘宝として落ち着いていた鬼丸国綱ですが、時代が進むと足利将軍家と室町幕府は力を失っていきました。伝承によれば、室町幕府13代将軍で、あだ名を「剣豪将軍」として知られる足利義輝は、自身が暗殺されるに至った謀反「永禄の変」において二条御所で討ち取られる際、鬼丸国綱を含めた国宝級の数多くの名刀の数々を振るっての死闘を繰り広げたといいます。足利義輝の最後の死闘については様々に説が語られていますが、それについては省略します。

 さて、分捕りから逃れたのでしょうか、ひとまず室町幕府最後の将軍、足利義昭は鬼丸国綱を持っていました。やがて鬼丸国綱を含めた足利家の三宝刀は、足利義昭から豊臣秀吉に献上されます。

 なお、鬼丸国綱は足利家から織田信長に献上され、その後豊臣秀吉に渡った、いう説もあります。ですが、刀剣研究家の福永酔剣氏によるとこれは誤りで「織田信長が死ぬ2年前、津田宗及という堺の豪商が信長の蔵刀を拝見しているが、その中に鬼丸国綱など足利家の三宝刀は見当たらなかった、という記録が残されているため、足利家から直接秀吉に渡った、とするのが正しい」とのことです。

 足利義昭から鬼丸国綱を受け取った豊臣秀吉でしたが、もう足利家の宝刀など眼中になかったのか、それとも衰亡した家の宝刀は縁起が悪いと思ったのか、三宝刀はすべて別々の場所へ預けられます。鬼丸国綱は刀剣の鑑定、研磨などを家業とする「本阿弥家(ほんあみけ)」へと預けられました。

onimaru1-6.jpg集古十種 : 兵器・刀劔. 兵器 刀劔 一より、鬼丸国綱の図絵。画像は「国会図書館デジタルコレクション」より引用

 なお、豊臣秀吉が鬼丸国綱を所有していた期間のどこかで、秀吉から命令を受けた細川藤孝(細川幽斎)によって刀の外装部品である拵え、通称「鬼丸拵」が修理されたと言われています。

 そして鬼丸国綱は、本阿弥家から何度か徳川将軍家や朝廷へと献上されるのですが、徳川家康は「太閤(豊臣秀吉)が深く考えて預けたのだろう、そのまま本阿弥家が預かっておくべきだ」と申し伝え、皇室へ献上された際には同時に凶事が起こり「不吉な刀である」とのことで返却されと、何度かの出入りはありながらも長く本阿弥家の預かりとなります。

 最終的には徳川幕府が大政奉還を行った後、廃刀令によって家職を失い、さらに跡目の当主がわずか6歳と、実質的に刀の管理能力を失った本阿弥家から宮内省に返還され、明治天皇に献上されました。ここでようやく鬼丸国綱は皇室の持ち物「御物」となり、現代に伝わっているのです。

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