「B型ダメ人間説」はなぜ信じられた? 血液型性格診断が拡散の裏にアノ有名大学が関与
■二度目の喜劇
血液型性格分類は日本のアカデミックな場から消えてなくなり、東京女子高等師範学校も後のお茶の水女子大学も入試で血液型による加点減点を廃止したのですが、血液型性格判定は消えませんでした。血液型別受験対策が行われ続けた結果、合格者の大半が血液型での合否判定を信じたままになってしまい、東京女子高等師範学校の中でずっと言われ続けたのです。
そして、この学校の卒業生の大半は学校の教師になります。それもエリート女教師です。血液型別性格判定で一流大学に合格したエリートが、学校教育を始めとする多くの場で血液型性格分類を現代まで継承し続けました。
1970年代になると、東京女子高等師範学校卒の姉の影響を強く受けた能見正比古が血液型性格分類を再び広めました。能見正比古が主張している血液型による長所と短所の話は、大昔の予備校で行われていた血液型別受験対策そのままです。
こうして、一度は消えた血液型性格判断でしたが、カール・マルクスの名言「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として二度目は喜劇として」の典型例として蘇りました。
日本の中で戦前の悪習が保存され続けた場所こそ、閉じた社会である学校の中だったのです。21世紀になっても、軍事訓練に起源を持つ組体操を「危険だから禁止しろ」と言っても頑固にやらせ続けるのと同じなのです。
血液型への偏見は悲惨な事故も起こしています、1990年に丹羽兵助衆議院議員が刺されて緊急輸血が必要になったとき、秘書が間違った血液型を主張したために違う血液型を輸血されて死にました。
これは血液型が票に影響すると考えた政治家が、自分の血液型を詐称していたために起きた悲劇です。
事故調査の結果では、死因は輸血事故ではなく出血死だとされたのですが、公表されていた丹羽議員の血液型は間違っていた事だけ知られており、AB型以外のどれかと謎になっています。まあ、AB型の血液を輸血されても平気な人はAB型だけなので、他のどの血液型でも全部アウトだったことに変わりはありません。
天才っぽく見せるためにAB型を詐称するのは、とんでもないリスクがあったのです。
これ以降、病院では患者の自己申告は一切信用しないで、必ず検査して血液型を確認するルールが徹底されることになりました。
戦前から現代まで、日本を始めとする世界の科学・医学界は一貫して血液型性格分類を否定しています。血液型性格分類の正体は、名門女子大の入試責任者になった教師が考えた、入試の点数補正理論が暴走して宗教化した物です。名門女子大の入試で使われなかったら、ただのトンデモ理論として消えているはずでした。
日本(旧植民地含む)以外で信じられていないのは当然です。
参考:「古川竹二の血液型気質相関説の成立を巡って : 大正末期〜昭和初期におけるある気質論の成立背景(PDF)」、「血液型と気質(三省堂、古川竹二著)」ほか
<古川竹二が発表した論文>
1919年01月、幼兒の教育、孔子の敎育 (新年附錄)
1920年、心理研究第十八巻、智能試驗と學業成績
1924年05月、幼兒の教育、メンタルテストに就て
1924年06月、幼兒の教育、メンタルテストに就て(承前)
1927年、心理学研究第二巻、血液型による氣質の研究
1929年05月、幼兒の教育、血液型の話
1936年06月、幼兒の教育、氣質に關する一二の問題
1931年、民族衛生、血液型と精神現象
1931年、心理学研究第六巻、血液型と精神現象との關係竝にその應用方面の研究
1939年03月、幼兒の教育、精神の發逹には遲速あり
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