「動物が大切なら肉を食べるべき。菜食主義者は彼らにとって悪」新説を一流哲学者が解説し、波紋を呼ぶ
動物を大切に思っているならば、殺して食べるべきだ。そんな一見して逆説的な主張を英国の哲学者がしている。
「Aeon」(1月24日付)によると、英ロンドン大学で名誉教授を務める哲学者ニック・ザングウィル氏は、動物を食べることは“義務”であると考えているという。ザングウィル氏は倫理学、美学などにおいて傑出した研究を行なっている人物だ。
ザングウィル氏は、もちろん動物は人間に食べられるために殺された瞬間は、その動物のためになっていないと認める。しかし、その動物は殺され、食べられるという運命によって利益を得ているというのだ。まず、家畜化された動物が大量に存在できているのは、それを人間が食べるという習慣があるからであり、むしろ食べないことは彼ら家畜動物を失望させることになるという。たとえば、ニュージーランドの何百万頭もの羊は、野生では生きられず、人間が食べているからこそ存在している。つまり、彼らの利益は人間の食文化によって成り立っているとする。
利益とはつまり動物たちの幸福のことと考えられるが、本当に家畜は人間に食べれることで幸福を増大させているのだろうか? ザングウィル氏は、前提として家畜は良い生活をしていないければならないと言い、「世界で生産されている食肉のうち、幸せな動物はかなりの少数派であるものの存在する」としている。そうであるならば、幸福な動物を食べることは正当化できるということだ。
だが、全ての家畜は肉として加工されるために殺されなければならない。この点について、ザングウィル氏は、死ぬことは悲しみであり苦しみだと認めているものの、「動物の喜びや幸せを無視して、動物の痛みや苦しみを強調するのは、奇妙で不愉快なこと」だと指摘する。「動物の喜びや幸せも重要であり、それは痛みや苦しみに勝るかもしれない」というのだ。人間は苦しみ、悲惨な死に方をすることが多いが、それを理由に自分の人生を無価値なものと考える人はほとんどいないというのがその根拠のようだ。
ザングウィル氏は人間と家畜の間には、人間が家畜を食べることで、家畜が存在するという相互利益があり、さらに言えば、動物の方が多くの利益を得ているという。そのためヴィーガンやベジタリアンといった菜食主義者の増加は動物にとって隕石の衝突に匹敵する大災害だという。
ただし、人間と家畜の相互利益は長い年月かけて形成された歴史的利益であるため、野生動物は含まれないとのことだ。空腹に堪え兼ね、またそれ以外の食料調達手段がない場合や、危害を加えられそうになった場合は、野生動物を殺すことを正当化できるが、娯楽目的でのハンティングは動物の意識的生活を理由なく奪うことになるので正当化できないとしている。
また野生動物との比較で言えば、家畜は彼らに比べて非常に安全で快適な生活をしているとザングウィル氏は言う。野生動物の生はトラウマと痛みと死の無限のサイクルである一方、多くの家畜は野生動物がうらやむような環境で飼育されているため、家畜を食べることは動物界の闇に現れた希望の光だという。
次にザングウィル氏は人間を食べることの可否について議論している。まず家畜は人間が食べることによって存在しているが、人間は食べられることで存在しているわけではないので、カニバリズムは相互利益にならないため正当化できないとしている。また人間には「理性」に起因する特有の権利があるため、動物を食べることと人間を食べることは全く異なるとも。ザングウィル氏は理性を「理由を持って物事を考え、実行し、決定する能力のこと」だと定義し、科学技術や創造的な想像力は全て理性によるものだとしている。動物はそれらを持たないため、人間と異なるが、動物が人間と同じレベルの権利を持たないからといって彼らの命に価値がないわけでなく、むしろ人間が家畜の幸福を父権的に考えた上で、彼らを食べることで相互利益をもたらすとしている。
理性のない赤ん坊や障害者も家畜のように食べて良いのではないかという疑念については、理性的であることは人間の機能であるが、常に満たされるわけではないと指摘し、退けている。犬は多くが4本足だが、先天的・後天的に3本足になることもあるように、本来あるはずの機能が完全に機能しない場合があっても、機能そのものがないとは言えないというわけだ。
以上ザングウィル氏の議論を追ってきたが、要約すると「家畜の幸福が苦痛を上回るならば、彼らが存在するという彼らの利益のために、理性的な判断から人間は彼らを食べるべきだ」となるだろう。しかしこの議論にはいくつもの問題点がありそうだ。まず、劣悪な環境の家畜は少数派であり、また野生動物の生活に比べたらマシだというザングウィル氏の主張は慎重な検討を要するだろう。また、存在することが利益であるとする主張も検討を要すると言えそうだ。
前者についてはピーター・シンガーが著書『動物の権利』で詳細に記述しているように、多くの家畜は劣悪な環境にいるとする正反対の議論がある。後者については、デイヴィッド・ベネターが著書『生まれてこない方がよかった』で展開している「誕生害悪論」が反論になるだろう。同書は人間についての議論だが、快・苦に基づいて議論を展開しているため、動物に敷衍して考えることもできそうだ。
ザングウィル氏の議論は脇が甘いが、議論の土台としてはむしろその方が扱いやすいかもしれない。今後どのように洗練化されていくか楽しみにしたい。
参考:「Aeon」、ほか
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