サックス発明者の不死身エピソードに驚愕! 硫酸や針を飲んでも生還、幸か不幸か超絶ダイハードな人生
振り返ってみるとあの時、事の運び方次第では死んでいたと思える体験をしたことがあるだろうか。長い人生のうちで1度や2度くらいそうした体験があっても不思議ではないが、かつてその生涯を通じて常に死と隣り合わせのハードな人生を送った天才がいた――。
■幼少期から致命的アクシデントの連続
ブラスバンドやジャズミュージシャンらが愛用する木管楽器として誰もが知るサックス(サキソフォン)は、1846年にベルギーのアドルフ・サックス氏によって発明され、特許も出願された楽器である。
アドルフの天賦の才と絶え間ない創意工夫によって生み出されたサックスではあったが、その彼の人生は驚くべきほどの苦難に満ち、実際に何度も死にかけていたという驚くべき波乱万丈の生涯であったのだ。
1814年11月6日にベルギーのディナンで楽器デザイナーの両親のもとに生まれたアドルフ・サックスは、幼少の頃からすぐに音楽の世界に没頭した。幼い頃から周囲にある楽器を弄んでその構造を学び、屋敷の工房で多くの時間を過ごす子どもであった。
アドルフはきわめて早い時期に金管楽器と木管楽器についての深い理解を示し、幼少期から新しいデザインの楽器をあれこれ考案していた。
14歳の時には、まったく新たな構造のクラリネットを作り、15歳の時にはそれまで不可能と考えられていた象牙からクラリネットと2本のフルートを製作することにも成功。すでに幼年期から少年期の段階で、アドルフには明るい将来を予見する天賦の才に恵まれていることが示されていたのだが、実はその頃からアドルフは死と隣り合わせの人生を歩んでいたのである。
彼の一生は、とにかく致命的なアクシデントの連続であった。3歳の時、3階から階段を転げ落ちて1階の石の床に頭を強打する事故に見舞われる。気絶してピクリとも動かないアドルフの両親は一度は諦めたというが、ベッドに寝かせて数日後には奇跡的に回復し、以前と変わらぬ立ち居振る舞いを見せたのだった。
その同じ年、アドルフは大きな針を口に入れているうちに誤って飲み込んでしまった。大きな針が内部から彼を殺してもおかしくない出来事だったが、奇跡的に内臓には何のダメージも与えずに針は便と共に排出されたのである。
幼い頃のアドルフにはこうした誤飲が多く、ミルクだと思って飲んだものが希釈した硫酸であったり、誤って鉛白、酸化銅、ヒ素の混合物を飲んだこともあった。楽器製作の工房ではこのような危険な化合物が身近にあったのだ。
また、ニスを塗ったばかりの家具が置かれた部屋で眠ったこともあり、場合によっては中毒が引き起こされたり、最悪のケースでは窒息死もあり得る状況だった。
3歳の1年間を無事に生き延びたアドルフだったが、その数年後には部屋で転んでストーブに当たって酷い火傷を負ったり、道を歩いている時に落ちてきた大きな屋根瓦が頭を直撃し、数日間昏睡したものの目が覚め「お母さん、僕はまだ生きている!」と叫んでむっくりと起き上がったのだった。
さらに10歳の時には、どういうわけか工房にあった火薬の容器が突然爆発し、部屋にいたアドルフは爆風で吹き飛ばされたが、驚くべきことに無傷であった。この出来事に続いてアドルフは川に落ち、泳げなかった彼は流されてしまったのだが偶然にも風車に引っ掛かって川岸に留まった。そこへたまたま通りかかった農夫によって助けられたのである。
このように死と隣り合わせの危機を何度も生き抜いたアドルフは、地元でも少しばかり名を馳せ「ディナンの幽霊の子」と呼ばれるようになった。彼の母親は早い時期から「彼は不幸な悪魔に呪われた子です。彼は生き延びられないでしょう」と諦観していたということだ。
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2024.10.02 20:00心霊サックス発明者の不死身エピソードに驚愕! 硫酸や針を飲んでも生還、幸か不幸か超絶ダイハードな人生のページです。発明、事故、楽器、不死身、誹謗中傷、アドルフ・サックスなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで