人骨から解明される残酷な死7選! 暗殺、処罰、生贄…古代社会の謎に迫る
馬上槍試合で死亡した騎士
1997年、スコットランドのスターリング城から約12体の人骨が発見された。そのうちの1体は、1388年のトーナメント中に死亡した英国人騎士のものだった。12~16世紀に西欧で流行したトーナメントでは、「馬上槍試合」と呼ばれる模擬戦争が行われた。槍などの武器と鎧兜を装備した騎士たちが馬に乗って実際に戦った。
発掘された遺体のうち1体は、ロバート・モーリーと呼ばれる、20代半ばの筋肉質な騎士のものだった。遺体の傷から、モーリーはトーナメントを含む厳しい生活を送っていたことが判明した。胸に矢が刺さったり、斧が頭蓋骨を陥没させたり、馬から転落して数本の歯を失ったりした痕跡も見られるからである。数々の傷を負いながらも生き延びたモーリーだったが、顔に剣が突き刺さり、鼻と顎が引き裂かれたことで死亡した。地面に横たわっているときに致命傷を負ったとみられている。
手足を切断された遺体
2001年、ポルトガル・アレンテージョ地方エヴォラ県エストレモスにある遺跡で、100人近くの遺体が発掘された。ほとんどの遺体は自然死と見られるが、3体は手足が切断されていた。切り落とされた手足は、胴体の下や横に置かれていた。
犠牲者は生きながら切断されたと考えられる証拠もあった。遺体には、斧か剣で手足を切り落とされた以外の外傷はなかった。このことから、彼らは出血多量で死亡したと考えられる。
13~15世紀にかけて、18~35歳までの3人が何者かに憎まれ、手足を切り落とされたのは事実だが、その切断の理由は不明である。中世の法律には、重大な犯罪の刑罰として切断があったので、遺跡から発掘された3人は犯罪者だったのかもしれない。
生贄にされた子供
近年、ペルー・フアンチャコのパンパ・ラ・クルス遺跡で子供の骨が大量に発見された。同地域には850~1470年頃、チムー王国が存在し、月を信仰し、精巧な金属加工を行うチムー文化が栄えた。1465~1470年にかけて、チムー王国はインカ帝国に征服され、文化や技術はインカに吸収された。
2019年には、遺跡を調査していた考古学研究チームが、子供137人、成人3人、ラマの赤ん坊200頭以上の骨を発掘した。人骨には心臓が取り除かれた痕跡があり、生贄にされた可能性が高いと考えられている。
遺跡は15世紀の食肉処理場と見られていたが、通行人が砂から露出した人や動物の骨を発見したことから、発掘調査が行われることとなった。最初の調査では、子供43人とラマ74頭の骨が発見された。2019年の発見は、この調査から数年後のことだった。さらに2022年には、子供76人分の骨が新たに発見された。
殺された5~14歳までの子供は海の方を向いていて、ラマは山の方を向いていた。大規模な儀式殺人の理由は不明である。しかし、骨に大量の泥が付着していたことから、雨季は壊滅的な被害を受けたため、神々の怒りをなだめるために生贄を捧げた可能性が高いとされる。
参考:「Listverse」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊人骨から解明される残酷な死7選! 暗殺、処罰、生贄…古代社会の謎に迫るのページです。人骨、暗殺、生贄、マヤ文明などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで