24の元機密資料から見るアメリカの実像! UFO、エリア51、洗脳実験、原爆開発の裏側(前編)
ペーパークリップ作戦
1946年9月、ハリー・トルーマン大統領は第二次世界大戦後にナチス・ドイツからアメリカに科学者を誘い込むことを目的とした「ペーパークリップ作戦(Operation Paperclip)」と呼ばれる計画を承認した。
戦略サービス局(CIAの前身)の職員は、貴重な科学的知識がソビエト連邦や分断された東ドイツの手に渡らないようにするために、終戦後のドイツの取り組みを支援するためにアメリカ国内で研究するドイツ人科学者を募集した。
ペーパークリップ作戦の最も有名な獲得人員はナチスのV2ロケットの開発者であるロケット科学者のヴェルナー・フォン・ブラウンで、彼はアメリカ航空宇宙局(NASA)の初代所長を務めた。
ノースウッズ作戦
東西冷戦中のアメリカとキューバとの間の緊張が高まる中でアメリカ中央所法曲(CIA)はカストロ政権打倒を目的とした多数の奇抜な計画を練り上げていた。それらの秘密作戦の主要な目的はフィデル・カストロを暗殺することであったが、別の計画ではアメリカとキューバの間の全面戦争を扇動することを目的としていたと専門家は指摘している。
1998年、情報公開法によって公開された情報を公開する非政府組織である国家安全保障アーカイブ(NSA)は「ノースウッズ作戦(Operation Northwoods)」に関連する機密解除された文書を公開した。
1962年に統合参謀本部によって考案されたノースウッズ作戦は、アメリカとキューバの民間人に対する暴力行為を画策し、それらの行為をキューバ政府のせいにする計画を含んでいた。
NSAの文書によるとこれらの計画にはアメリカの都市での偽装したテロ攻撃、旅客機のハイジャック、アメリカに向かう途中のキューバ亡命者を多数乗せたボートの沈没が含まれ、キューバとの戦争を正当化するために使われることになっていたのだ。
報道によると最終的にケネディ政権はノースウッズ作戦の愚かさを認識し、承認を拒絶した。
マンハッタン計画
最も有名な秘密研究プログラムの1つは、最終的に世界初の原子爆弾を製造した「マンハッタン計画(Manhattan Project)」である。
このプロジェクトは1939年に始まり、原子力兵器の潜在的な威力を調査のを柱に秘密裏に行われた。1942年から1946年にかけては米陸軍工兵隊のレスリー・グローブス少将がマンハッタン計画を指揮した。
最初の核実験は1945年7月16日午前5時30分、ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠のホワイトサンズ射爆場において人類史上初の核実験「トリニティ」が実施された。爆発の破壊力はTNT換算で15キロトン以上であったといわれている。
トリニティ実験から1カ月後、第二次世界大戦末期の日本の広島と長崎に2発の原子爆弾が投下されたのはご存じの通りだ。今日まで戦争で核兵器が使用されたのは広島と長崎への原爆投下だけである。
【中編】に続く
参考:「Live Science」ほか
※ 本記事の内容を無断で転載・動画化し、YouTubeやブログなどにアップロードすることを固く禁じます。
関連記事
人気連載
“包帯だらけで笑いながら走り回るピエロ”を目撃した結果…【うえまつそうの連載:島流し奇譚】
現役の体育教師にしてありがながら、ベーシスト、そして怪談師の一面もあわせもつ、う...
2024.10.02 20:00心霊24の元機密資料から見るアメリカの実像! UFO、エリア51、洗脳実験、原爆開発の裏側(前編)のページです。UFO、CIA、米軍、機密文書、冷戦などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで