ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)

――「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が歴史的UFO事件を深堀り。アーノルド事件からCBA事件までを振り返る。

第1回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(1) 
第2回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(2)
第3回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(1)
第4回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(2)
第5回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1)
第6回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2)
第7回:戦前に設計された円盤形航空機「ディスコプター」とは?
第8回:UFO=宇宙人の乗り物説は日本発祥だった!?
第9回:UFO研究の先駆者ドナルド・キーホー概説
第10回:1897年「オーロラ事件」は世界初のUFO墜落事件なのか?
第11回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(1)
第12回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(2)
第13回:昭和25年の「空とぶ円盤」事情
第14回:ナチスのUFO開発史ールーマニアの発明家アンリ・コアンダ(1)

 1950年3月、ほぼ時期を同じくして2人の人物が、ナチス政権下のドイツでUFO作成に携わっていたと名乗り出た。

 その最初の人物はドイツ人ではなく、イタリアの技術者ジョゼッペ・ベッルッツォ(1876~1952)であった。

 ベッルッツォはヴェローナで生まれた。家庭は労働者階級であったが、16才で工業学校を卒業するとミラノ工科大学を卒業、1905年にはイタリアで最初の蒸気タービンを開発し、一躍イタリアを代表する技術者となった。このタービンはイタリアの戦艦や蒸気機関車に採用され、1918年からは母校ミラノ工科大学の教授を務めた。さらに1924年には下院議員に当選、当時のムッソリーニ政権下で国家経済大臣や教育大臣も歴任した

 その後1934年から1939年までは、国王に任命されて上院議員も務めている。

 彼は当時のイタリアを代表する有名な技術者にして政治家でもあり、さらにフリーメーソンでもあった。

ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)の画像1
ムッソリーニと歩くベッルッツォ(中央)(画像は「Getty Images」より)

 しかしイタリアでは第二次世界大戦中の1943年から、北部を占領するドイツ軍と連合軍に支援されたパルチザン組織国民解放委員会との内戦が始まった。1945年、国民解放委員会がミラノを解放すると、ミラノに住んでいたベッルッツォもムッソリーニとの関係を疑われて逮捕された。しかしその後釈放され、戦後は多くの雑誌に経済記事を執筆していた。

 そのベッルッツォがイタリアの日刊紙『イル・ジオナーレ・ディタリア』とのインタビューにおいて、第二次世界大戦中ドイツでUFOを作っていたと突然告白したのだ。

 掲載されたのは1950年3月24/25日付『イル・ジオナーレ・ディタリア』紙の紙面で、この記事によれば、ドイツでは1942年からUFO建設計画が存在し、ベッルッツォも招かれてドイツでUFO研究を行っていたという。

 しかし、彼のこの発言には疑問もある。

 ベッルッツォは確かにイタリアでも有数の技術者であったが、その専門は蒸気タービンであり、航空機の設計とはほとんど関わりがなかったのだ。そして蒸気タービンはかなり大がかりな装置となり、飛行機の動力源として用いられたことはない。

 さらに、ベッルッツォは一緒にUFOを開発していたはずのドイツ人の同僚についてはひと言も述べていないのだ。

 彼が作っていたと主張するUFOの構造も、非常に奇妙なものだ。

 それは、円盤形の胴体周辺に、円周に沿う形でパイプが何本も配置され、そこから石油が噴き出す構造になっている。彼によれば、噴出する石油に火を点けると円盤が高速で回転しながら上昇するというものだ。まるで、大映映画の怪獣ガメラのようである。しかし回転するだけでは、上向きの推力が得られず、浮き上がるとは思われない。ベッルッツォ本人も、このUFOは石油がなくなるとすぐに墜落したと、情けないことを述べている。

ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)の画像2
画像は「Getty Images」より

 ベッルッツォのインタビューが掲載された直後、今度はドイツで、戦時中UFOを設計したという人物が名乗り出た。それは、自称空軍大尉のルドルフ・シュリーファーという人物で、彼の発言はドイツを代表する一流週刊誌『シュピーゲル』3月30日号に掲載された。

 このシュリーファーが考えたUFOは、中心にあるコクピットの周辺を扇風機のファンのようなものが多数囲む構造で、このファンが回って上昇する。ただし、前進する際はジェットエンジンを使用するということだ。

 彼は、子供のおもちゃの竹とんぼからこのUFOを思いつき、1942年にその基本構想をプラハの科学者に手渡したということだ。ただ、シュリーファーのUFOのこの構造は、1944年、アメリカのアレクサンダー・ウェイガーが特許を得たディスコプターにもよく似ている。

 もっとも、ルドルフ・シュリーファーという人物の実在には疑問も持たれているし、ベッルッツォがドイツ人の同僚に触れていないのと同様、シュリーファーもまたベッルッツォについては述べていない。

 なお、1950年には、ドイツの別の雑誌『ノイエ・イルストリエルテ』がその4月1日号で、捕まった宇宙人の写真なるものを掲載している。両手を上に伸ばした小さな人物が、トレンチコートの男に両側から手をつかまれている有名な写真である。

ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)の画像3
画像は「Issac Koi UFOs & rationality」より

 この宇宙人については毛を剃ったサルなどという見当違いの批判も見られたが、実際はローラースケート・チームのジェームズ・リッドストーンという人物が演じていた。

 じつはこの写真はエイプリルフールの冗談記事の一部であり、このことは次号の『ノイエ・イルストリエルテ』で明かされているのだが、宇宙人の写真そのものはその後も世界各地の雑誌や書籍に掲載され続けた。

 掲載誌こそ違え、こうした記事が同時期に掲載されたことを考えると、1950年のドイツでは、UFOに対する関心がかなり高まっていたように思われる。

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文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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