「マインドフルネスに関する3つの神話」に哲学者がガチのツッコミ! “今この瞬間を生きる”ことは不可能!?

【概要】

 ストレス解消術としてにわかに注目されている「マインドフルネス」だが、多くの人が誤解している神話があるという。コペンハーゲン大学の哲学者であるオデュッセウス・ストーン氏が、「すべての思考を水に流していいのか?」「“心頭滅却”できないのは修行が足りないのか?」「“今この瞬間を生きる”ことは不可能」といった3つのテーマに理性的なツッコミを入れた。

【詳細】

 ストレスの多い現代社会を生き抜くある種の“サバイバル術”としての「マインドフルネス」に注目が集まって久しい。実践者も多いマインドフルネスだが、デンマーク・コペンハーゲン大学主観性研究センターの哲学者、オデュッセウス・ストーン氏によると、マインドフルネスは3つの重大な哲学的間違いを犯しているという。マインドフルネスについて誤解をしてはいけない3つの“神話”とは以下の通りだ。

すべての思考を水に流していいのか?

 マインドフルネスの実践レッスンでは、頭に浮かぶ思考をそれがポジティブなものであれネガティブなものであれ、少し離れた道路を走る車のように客観視し、決して渋滞させないようスムーズに走り去らせることが念頭におかれている。

 これは失敗体験などネガティブな思考についてくよくよ反芻することを防止し、特定の考えや意識に執着しないための“戦略”であり、確かに一面では優れた効果を発揮する。

 明日朝のプレゼンテーションのことで眠れなくなったり、歯医者の予約を何度も確認してしまうなど、考えても仕方のない些末なことについて時間を費やしてしまうのは確かに愚かなことである。

 しかしすべての思考を同じように走り去らせていいものなのだろうか? 路上の“検問”のように、思考にも見送っていいものと、いったん止めて詳しく検分してみるべきものがあるのではないか。

「たとえば、デンマーク政府の政策決定に対して私たちが抱くかもしれない怒りの感情を考えてみましょう。そのような感情を現実との関連性や重要性をほとんど持たずに空の雲を通り過ぎていくかのように考えることは有益でしょうか?」(ストーン氏)

 もちろん水に流してもよい取るに足らない思考も多いのだが、その中には一時停止させて検分したり、立ち止まって考えてみるべき思考や感情もあるのだと見込んでおくことは賢明といえそうだ。

「マインドフルネスに関する3つの神話」に哲学者がガチのツッコミ! 今この瞬間を生きることは不可能!?の画像1
画像は「Pixabay」より

“心頭滅却”できないのは修行が足りないのか?

 仏教の「心頭滅却すれば火もまた涼し」という無念無想の境地にも繋がるマインドフルネスの2番目の重要な“戦略”は、自分自身で周囲に向ける注意をコントロールすることである。

 周囲の何にどのような焦点を当てるかについて、自分自身が最高の権限を持っているという考えに基づき、周囲の雑音や誘惑に惑わされることなく周囲を適切に認識できれば確かに余計なことに関わらなくて済む。

 しかし問題は、これが“注意の心理学”を非常に単純化しすぎた見方である点であるとストーン氏は指摘する。

 周囲の何に目を向けるかは個人の問題であると共に社会の問題でもある。“心頭滅却”したからといって信号を無視していいわけはないし、スマホから鳴り響く「緊急地震速報」を無下にするわけにもいかない。

 ストーン氏は「一部の哲学者や認知科学者によると私たちの注意は自分の身体に大きく依存しており、物質的および社会的状況に組み込まれています」と説明し、周囲に惑わされてはいけないものの、周囲の重要な変化には適切に対応しなければならないことを再確認している。

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画像は「Pixabay」より

“今この瞬間を生きる”ことは不可能

 マインドフルネスの知恵の3番目の疑わしい“戦略”は、過去や未来について思い煩うことなく“今この瞬間を生きる”ことに注力すべきであるという考えだ。

 しかし問題は、我々が世界を経験する方法に「今」という概念が実際には存在しないことであるとストーン氏は指摘する。

 フランスの哲学者アンリ・ベルクソンに倣えば、我々はカレンダーや時計のように一方通行の時間を経験しているわけではなく、ましてや“今この瞬間”に生きているわけではない。

 むしろ我々は過去、現在、未来が混然一体となった“期間”に生きている。

 時間は常に前進しており、前後を考慮せずに“今この瞬間”を語ることはナンセンスであり、人間の心理は過去の豊富な経験、記憶、学習された行動に依存し、未来への懸念や予測によって行動や思考が構成されている。

「もし私たちの経験や行動が首尾一貫していて、私たちにとって意味のあるものであるためには、それらは何らかの形で私たちの過去と未来に言及する必要があるでしょう」(ストーン氏)

「マインドフルネスに関する3つの神話」に哲学者がガチのツッコミ! 今この瞬間を生きることは不可能!?の画像3
「University of Copenhagen」の記事より

 世界中で何百万人もの人々がそれを実践しているマインドフルネスが無益であるはずはない。生活の中の些細な心配事を無視し、自分が注意を向けているものに対してよりコントロールと責任を持ち、過去にこだわったり将来について心配したりする時間を減らすことで、おそらくよりリラックスして日々の暮らしを送ることができる。

 しかしこれまでの“自己啓発”の流行と同様、過大評価と鵜呑みにしてしまうことには重大な誤解を生じかねない。節度と賢明な適用が鍵となるとストーン氏は結んでいる。

 つまりマインドフルネスに入れ込みすぎて“浮世離れ”してはならないということでもあるだろう。当たり前だが決して無視できない現実にはどうであれ向き合っていくしかないのである。

【トカナのコメント】

 ストーン氏の専門は哲学の方法論の1つである現象学なのだが、現象学的にマインドフルネスを理解しようとしている点に制約がありそうだ。たとえば、「今この瞬間を生きる」ことは、彼の専門とするフッサールの時間理解の枠組みでは確かに不可能だが、仏教の時間理解は果たしてそれと同じだろうか。フッサールは現象学を提唱した哲学者で、ストーン氏が所属する主観性研究センターを創設したダン・サハヴィはフッサール研究の世界的権威だ。

 フッサールは、時間の分析を通して、我々の認識が成立するためには、現に起こっている現象の少し前の出来事を無意識に覚えている過去把持と、これから起こることを予期している未来予持という能力が不可欠だと考えた。たとえば、音楽を聴く時、曲を構成するそれぞれの音がぶつ切りになってしまっては音楽ではなくただの音となってしまう。音楽が音楽として聞こえるためには、今聴いている音だけではなく、その少し前の音を覚えており、さらには少し先の未来に聞こえるだろう音を予期していなければならないというわけだ。

 こうした時間理解に則れば純粋な今というのは存在しえないだろう。しかし、これは通常の意識状態を前提にした話であることをストーン氏は忘れているようだ。高度な瞑想修行者に限られることだが、瞑想中の時間経験は果たして日常の時間経験と同じなのだろうか。

参考:「Big Think」「University of Copenhagen」ほか

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文=仲田しんじ

場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。
興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター @nakata66shinji

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