死後、地球人は異星人として生まれ変わる!?UFO研究家を悩ませ続ける「スコリトン事件」
――超能力、心霊現象、UFO、など、いわゆる「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼がUFO事件について解説!
「第三種接近遭遇」、それはアメリカのジョゼフ・アレン・ハイネックが定義したUFOとの遭遇形態の1つで、UFOの近くに搭乗員らしき未知の生物が目撃されたり、声やメッセージなどでその存在が推定される場合のことをいう。UFO搭乗員と目撃者が接触する、いわゆるコンタクトやアブダクションは、本来「第三種接近遭遇」の一形態であるが、研究家によっては「第四種接近遭遇」とする者もいる。
分類に関する意見は分かれるところだが、いずれにせよこうしたコンタクト・ケースでは、極めて奇妙な容姿のUFO搭乗員や、地球の常識では理解できない不思議な行動が目撃される例も多い。1952年の「フラットウッズ事件」では、俗に“3メートルの宇宙人”や“フラモン”などと呼ばれる奇妙な怪物が目撃されたし、1954年の「チェンニーナ事件」では、背の低いUFO搭乗員が農婦のストッキングを奪い去ったとされる。また、1992年の「ピーター・クーリー事件」では、全裸の不思議な女性2人が突然寝室に現れるなどした。そして今回紹介する「スコリトン事件」もまた、不可思議極まる事件として、現在も多くの研究家の頭を悩ませ続けているのだ。
■「スコリトン事件」のあらまし
1965年4月24日、イギリスのスコリトン。当時老人ホームの管理人をしていたアーサー・ブライアントは、その日の夕方、日課となっている散歩に出かけた。すると午後5時30分頃、空から巨大な円盤型の物体が降下してきて、地上から1メートルほどの高さで静止した。
円盤の真ん中には出入口が現れ、中からヘルメットをかぶり、潜水服のようなものを身に着けた3人の人間(らしき存在)が出てきた。1人が手招きするのでブライアントが近付くと、彼らはヘルメットを脱いだ。そのうち2人は、異常に長い額と猫のような青い眼、そして金髪と、ずんぐりした鼻を持っていた。また彼らの口は青みがかっており、明らかに地球の人間ではなかった。
ところが3人目は、他の2人とは違っていた。14、5歳に見える金髪の少年で、着ている服も大き過ぎてだぶついている。この少年はアメリカ訛りの英語でブライアントに話かけ、自らを「ヤムスキー」と名乗った上で、
「我々はあなたにメッセージを持ってきた。“デス…レス…”に伝えてほしいことがある。今から1カ月後に私たちは“マンテルの証拠”を示すだろう。夕方の青い光体に注意しなさい」
と謎のメッセージを残した。どこから来たのかと尋ねるブライアントに、彼は「金星から来た」と告げた。
このあとブライアントは円盤の中を案内される。内部には同じ型の部屋がいくつかあり、それらはドアで通じていたが、ドアは各部屋の床にもあった。また、それぞれの部屋には1台のベッドと、テレビ受像機に似た大きなスクリーンも備わっていた。そして最後に案内された部屋のベッドの上には、“紫色でバラの刺繍が入ったガウン”が置いてあったという。案内が終わるとブライアントは船外へと連れ出され、円盤は空の彼方へと飛び去ってしまった。
この不思議な体験から1月半ほどが過ぎた1965年6月7日の夜、ベッドに入ろうとしていたブライアントの耳に、ブーンというハミング音が飛び込んできた。表へ出て夜空を見上げると、南西方向から青い光体が接近してくる。やがて物体は北東方向へと進むと、そこで降下したように見えた。「約束どおり彼らが帰ってきたのだ」と考えたブライアントは、その後数日間、物体が着陸したと思われる辺りにでかけ、そこで奇妙な金属片やボルト・ナット類、「兄弟から兄弟へ」と書かれた紙片の入ったガラス瓶などを見つけたという――。
■アダムスキーの体験との奇妙なリンク
さて、この「スコリトン事件」が明るみに出たのは、地元紙の記事が原因だった。実は6月7日の夜、ブライアント以外にも謎の飛行物体を見ていた者がおり、天文学者ヘッドリィ・ロビンソンが他の目撃者を探していた。その事を報じる記事を目にしたブライアントが、目撃者の1人としてロビンソンに手紙を書いたのだ。こうしてブライアントの体験はBUFORA(イギリスUFO研究会)の知るところとなった。
そして調査にあたったBUFORAのノーマン・オリバーは、ブライアントの証言に、かの有名なジョージ・アダムスキーの体験と関連する事項がいくつも含まれていることを発見した。ちなみにジョージ・アダムスキー(1891~1965)は、世界で最初に宇宙人とのコンタクトを公表した人物、つまり人類初のコンタクティーだ。彼が撮影に成功したUFOのフォルムは「アダムスキー型」と名付けられるほど、UFO史上に名を刻む重要人物として知られている。
アダムスキーの体験は、考古学者デスモンド・レスリーとの共著『空飛ぶ円盤実見記』として出版され、世界的なベストセラーになった。それによると彼は、1952年11月20日、アメリカのカリフォルニア州モハーベ砂漠で「金星人オーソン」と最初に会見し、翌年には「火星人ファーコン」と会った。さらに彼は空飛ぶ円盤にも同乗し、“青い色にバラの刺繍の付いたガウン”を着用して土星を探訪。「土星人ラミュー」にも会ったという。
――ここまでで何か気付きはしないだろうか。「スコリトン事件」でブライアントが「ヤムスキー」と名乗る少年宇宙人から告げられた、謎のメッセージをもう一度思い出してほしい。
「我々はあなたにメッセージを持ってきた。“デス…レス…”に伝えてほしいことがある。今から1カ月後に私たちは“マンテルの証拠”を示すだろう。夕方の青い光体に注意しなさい」
まず、この中にある“マンテルの証拠”という言葉は、1948年に起きた「マンテル事件」(UFOとの関連が疑われるアメリカ空軍機墜落事件)のことを指すと考えられる。
そして、メッセージ中にある「デス…レス…」という人名らしき言葉、すなわち「マンテル事件」の証拠が示される旨を伝えるべき相手とは、アダムスキーと『空飛ぶ円盤実見記』を共著した考古学者デスモンド・レスリーであることを連想させる。
また、「スコリトン事件」で宇宙船の内部を案内されたブライアントが見かけた、“紫色でバラの刺繍が入ったガウン”は、アダムスキーが土星を訪れた際着用した“青い色にバラの刺繍の付いたガウン”を思わせるものだ。当時、まだアダムスキーの土星訪問は一部の側近以外には伝えられていなかったにもかかわらず……。
不思議なリンクはそれだけではない。アダムスキーは、1965年4月23日に死亡したが、「スコリトン事件」はアダムスキー死去の翌日、より正確には死後12時間ほどのタイミングで起きているのだ。「スコリトン事件」の発生時、アダムスキーの死は関係者以外には知りようのない情報だった。
■「ヤムスキー」はアダムスキーの“生まれ変わり”なのか!?
「スコリトン事件」を調査するBUFORAのオリバーは、ブライアントに直接面会し、彼の証言とアダムスキーの体験との奇妙なリンクの謎を探ろうとした。しかしブライアントは、アダムスキーはおろか、UFO関連の事項について何も知らない人間だったのだ。アダムスキーのことをまったく知らないブライアントが、関係者以外承知していない事項をどうやって知ることができたのだろう。この奇妙な状況を説明するカギは、アダムスキーの言葉にあった。
生前のアダムスキーはかねがね、「地球で使命を果たした人間は、死後に他の惑星に生まれ変わる」と述べていたのだ。そして彼はまた、自分が金星を訪れた際、死んだ妻メリーの生まれ変わりである少女と対面したとも述べていた。つまり、アダムスキーの言葉をその通り受け止めるならば、彼は死後に金星人「ヤムスキー」として生まれ変わり、地球にやってきた。そしてイギリスに着地しブライアントと遭遇、その出来事こそが「スコリトン事件」であったとの解釈も可能となるのだ。
実際、オリバーからアダムスキーについての説明を受けたブライアントは、「ヤムスキーはアダムスキーの生まれかわりではないか」と口にしたという。果たして本当にアダムスキーは金星人として生まれ変わり、地球にやってきたというのだろうか――。
確かに、金星や土星などに知的生命体が存在するといったアダムスキーの主張は、現在の惑星探査の結果とは相容れないものが多い。そのため今となっては、アダムスキーを支持する者はUFO研究家のごく一部に過ぎないことも事実である。しかし、「スコリトン事件」のブライアントの体験と、アダムスキーの主張との間の奇妙なリンクに関する謎は、いまだ多くの研究家を悩ませるUFO史上の大きな謎なのである。
※当記事は2014年の記事を再編集して掲載しています。
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