カリブ海最大の恐怖「バルバドスの動く棺桶」事件を現地調査、ついに謎が解けた!衝撃の真実と黒人奴隷の悲しい歴史に震える

※当記事は2016年の記事を再編集して掲載しています。

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 筆者は現在、とある個人的事情から、中南米地域を放浪している。中南米といえば「ナスカの地上絵」や「パレンケの石棺」に代表されるミステリアスな古代遺跡、ヴードゥーやマクンバといった魔術的宗教で知られるのみならず、シャビエルやジュセリーノ、アリゴー他、数多くの超能力者を輩出している地域でもある。もちろん、謎多き伝説「バミューダ・トライアングル」や「ビミニ・ウォール」(海中にある歩道)もこの地域にある。

 再び故国の土を踏むのはいつの日か、知る由もないさすらいの身ではあるが、不思議な縁でたどり着いた中南米である。予算とスケジュールの許す限り、できるだけ多くの超常スポットに足を運んでみようと思っている。

 そんなマジカル・ミステリー・ツアーの一環として、今回はカリブ海の島国、バルバドスにやってきた。

■カリブの島国・バルバドスとはどんな島か

 バルバドスは、カリブ海諸国の中でもっとも東側に位置し、面積はだいたい横浜市と同じくらい。人口も約30万人という小国である。

 国民の大多数は黒人だが、300年以上続いたイギリス植民地支配の影響は今でも強く残り、一名を「リトル・イングランド」とも呼ばれている。欧米諸国では、近隣のバハマと並ぶハイソなリゾート地として以前から知られ、青い海に白い砂浜、降り注ぐ太陽を目指して、毎年70万人以上の観光客がこの小さな島に押し寄せている。

 しかし筆者がバルバドスを訪れたのは、もちろん欧米のセレブたちに混ざり優雅な休日を過ごすためではない。一見すると地上の楽園と見紛うほどのこの美しい島には、ある奇妙な伝説が伝わっているのだ。それが所謂、「バルバドスの動く棺桶」の話だ。このミステリーは、今や西インド諸島はおろか世界全体に広まり、カリブ海最大の謎ともいわれている。

【眠れなくなるほど恐ろしい「動く棺桶」伝説】

 物語は1807年7月31日、トマシーナ・ゴダードという女性の棺が、島内のとある納骨所に運び込まれたことに始まる。

 納骨所とは、西洋式の墓地の下に作られた空洞で、複数の棺を安置する場所だ。通常であれば棺はそのまま土に埋められ、その上に墓標が建てられるから、このような納骨所を持つことができるのは、それなりに財力のある人間ということになる。

●納骨所が農場主の手に渡るまでの経緯

 じつは問題の納骨所は、本来ジェイムズ・エリオット一家の持ち物であり、埋葬記録によればエリオット家の1人リチャードの遺体が中に安置されているはずだったが、ゴダード夫人の棺を運び入れたときには、リチャードの棺は影も形もなく消滅していたという。

 立ち会った人々は、リチャードの棺がないことを少し怪訝には思ったが、とにかくゴダード夫人の遺体を内部に安置し、入口を一枚岩で塞ぐと、それをコンクリートで塗り固めた。

 その後、納骨所は富裕なサトウキビ農場主、トマス・チェイスの所有となった。そして1808年2月22日には、2歳で亡くなったトマスの娘メアリ・アンナ・マリア・チェイスの小さな棺が、この納骨所に納められた。内部に特に異常はなく、人々はコンクリートをはがし、一枚岩を脇へ除けると棺を納め、また元通り納骨所を塞いだ。

●続発する怪現象

 それから4年後の1812年7月6日に、もう1人の娘、10歳のドーカス・チェイスがここに葬られた。このとき納骨所の中では、明らかに異変が起きていた。ゴダード夫人とメアリ・アンナ・マリア・チェイスの棺は、元の場所から移動し、壁の方に逆さになっていたのだ。人々は棺の位置を元通りにして、再び入口を塞いだ。

 その1カ月後の8月、当主トマス・チェイスが死亡し、8月9日に遺体がこの納骨所に納められることになった。彼の棺は、鉛で内貼りされた立派なもので、大人が8人でやっと運べるほどの重さだったという。人々が重い棺桶を納骨所まで運び、その扉を開いてみると、内部ではまたも異変が起きていた。本来、墓の北東の隅にあるはずの2人の少女の棺が、対角の南西の隅に移動していたのだ。

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 さらに4年後の1816年10月、今度はチェイス家の親戚で、生後11カ月で死んだ赤ん坊の遺体が納骨所に納められることとなった。しかし扉を開けてみると、そこにあった4つの棺はすべてひっくり返っていた。人々はまた棺を並べ直し、入口を一枚岩とコンクリートで封印した。

 そして同じ年の11月17日、赤ん坊の父サミュエル・ブリュースターの遺体が他の墓所から移されてきた。この頃には、チェイス家納骨所のミステリーはすっかり世間に知れ渡っており、納棺には見物人が多数押し掛けてきたという。

 そのような中、納骨所の扉を開くと棺は全て移動し、ゴダード夫人の木棺は崩れかけていた。墓地がある教会の神父トマス・オーダーソンが墓の内部を調べたが、床や壁、天井にはひび割れすらなく、何者かが侵入することは不可能だった。

●バルバドス総督の調査

 その後1819年7月17日、トマシーナ・クラーク夫人が納骨所に納められることになった。前回同様、大勢の見物人が押し寄せた。その見物人の中に、当時のバルバドス総督も混じっていた。

 封印用のコンクリートを削り落とし、扉を開けようとすると、何かが擦れる音がした。なんと、トマス・チェイスの鉛の棺が入り口まで移動し、扉に当たって擦れていたのである。他の棺もバラバラに移動していたが、ゴダード夫人の壊れかけた木製の棺だけは元の位置から動いていなかった。総督は納骨所に入り、内部をくまなく調べたが、謎を解くような手掛かりは見つからなった。そこで総督は、棺を元通りに並べ終えた後で、何者かが侵入したらすぐわかるよう、床に細かな砂をまくよう命じ、一枚岩をコンクリートで封印すると、そこに彼個人の印を残した。

 1820年4月18日、総督の官邸でパーティーが行われたとき、この墓の話題が出た。酔った勢いもあり、総督は今から全員で現場を確認しようと提案する。そして一行が納骨所に赴くと、コンクリートに異常はなく、総督の封印もそのまま残っていた。しかし納骨所の中では、ゴダード夫人の棺以外は皆ひっくり返り、壁には叩きつけられた跡も残っていた。ところが、前回総督が撒かせた砂の上には足跡ひとつ存在しない。

 この事態に総督は、納骨所にある全ての棺を別の場所に埋葬するよう命じ、以来この場所は空のままとなっている――。

■謎だらけのストーリー

 つまりこのストーリーでは、納骨所に何度か棺が運び入れられているが、開封するたびに安置された棺桶が動いていたというのだ。棺が納められると、その都度コンクリートで封印されていたから何者かが浸入することは難しく、しかも大人8人がかりでやっと動かすことのできるトマス・チェイスの棺まで移動していた。さらには、バルバドス総督自身もこの怪奇現象を確認したということである。

 なお、納骨所の持ち主トマス・チェイスについては、おおむね無慈悲で残忍な人物とされ、農場で働く奴隷たちを虐待し、娘たちにも厳しく接したと伝えられている。娘ドーカス・チェイスの死因も、父親の仕打ちに耐えかねた、あるいは奴隷の虐待に抗議して絶食して自殺したなどと伝えられるのが常であり、トマス・チェイス自身についても発狂死したとか自殺であったとするバージョンもある。

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■多くの憶測が飛び交うも……

 ともあれ、この動く棺桶という現象を説明するため、さまざまな仮説が提案されている。

 よく言われるものに、納骨所に水が浸入して棺が浮き上がったとするものと、地震により棺が動いたというものがある。しかし現場となる墓地は海面から30メートルもの高台にあるため、少なくとも海水が浸入することはありえない。

 では雨水はどうだろう。たしかにバルバドスでは、4月から11月にかけての雨季に集中的な豪雨が降ることがある。しかし地下に設けられ、しかも石板やコンクリートで封印された納骨所にそれだけの雨水が浸入することは考えにくいうえ、もしも雨水が原因ならば同じ場所にある他の墓所でも同様の現象が起きるはずだ。

 地震についても、本来バルバドスは地震の少ない国であり、たまに起こるとしてもごく小規模なものしか記録がない。それに地震が原因であれば、やはり近隣の墓地や教会にも被害が及んでいるはずだ。

 かの有名作家コナン・ドイルなどは、墓の内部に何らかの爆発性のガスが充満し、それが爆発したとの説を展開しているが、このようなガス等の痕跡、爆発の跡も発見されていない。

 他にも、ポルターガイストや心霊現象、何らかの魔術と関連付けようとする説、さらに事件そのものを架空の話として否定する意見もある。

■識者たちも調査に乗り出す

 米国の代表的UFO研究家ジェローム・クラークによれば、動く棺桶の話は1800年代に、物語にも登場するトマス・オーダーソン神父が述べたものが最初であり、しかもオーダーソンは、少しずつ内容の異なる矛盾する内容を残しているという。文献として現れるのは、1833年にジェイムズ・アレキサンダーが著した『アトランティック・スケッチ』が最初であり、その後も同じような話が各種文献に採録されているという。

 イギリスの心霊現象研究会会長を務めたこともある民話学者アンドリュー・ラングは、バルバドスに住む義兄フォスター・アラインにこのミステリーの調査を依頼したことがある。アラインはまず埋葬記録を調査したが、埋葬記録では誰が埋葬されたかまでは確認できても、事件の真正については一切わからなかった。さらに当時の新聞報道を精査したが、事件について伝える記事は一切なかったという。トマス・オーダーソン神父の兄弟であるアイザック・オーダーソンが1843年に著した『昔日のバルバドスにおける社会内政状況と事件』にも、何ら記載がなかった。

 心霊現象を批判的立場から考察するジョー・ニッケルなどは、この話の中にフリーメイソンの象徴が登場するとして、神話の捏造にフリーメイソンが絡んだ可能性も指摘している。真相はいったいどこにあるのだろうか。

■何かがおかしい! 現地調査へ

 ただ、この一連のストーリーについて、筆者はいくつか疑問を持っていた。

 まずこの話では、棺が納められるたびに入口がコンクリートで塗り固められたとされている。しかし、個人の墓と違い、特定の一族の遺体を収める納骨所であれば、棺が何度も中に納められることが前提となる。そうだとすれば、納骨のたびに入口をコンクリートで固め、次回納骨の際にそれをはがし、さらに遺体の安置後またコンクリートで固めるというのは非常に不経済ではないだろうか。普通の納骨所であれば、通常は1枚の石板で出入り口を塞ぎ、納骨のたびにその石板をずらすのが常である。

 さらに、当時黒人奴隷を虐待していたのはトマス・チェイスだけではない。サトウキビ農場の経営は大量の労働力を必要とするもので、当時の農場経営者のほとんどはこうした黒人の搾取の上に贅沢な生活を送っていた。実際イギリスの俳優ベネディクト・カンバーバッチの祖先も、18世紀にはそうした農場主の1人としてバルバドスに君臨していた。その農場主の娘が、黒人奴隷の扱いに抗議して絶食するというのも、あまり考えられることではないだろう。

 また、総督が封印を持ち出して納骨所の入り口に押印したという部分も気になる。通常この種の封印は、非常に大切に扱われ、総督本人といえども安易に外に持ち出すことはできないものだ。

 そこで今回、これらの疑問を確かめる意味もあり、筆者は事件の現場となったチェイス家納骨所を実際に訪れることにしたのだ。

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バルバドスの海岸 写真提供:羽仁礼

■伝説と異なる内容を含む手記

 バルバドスに着くと、まず首都ブリッジタウン中心部にある国立図書館で関連資料を探してみた。すると『バルバドス博物館・歴史協会紀要』第19巻に、アルジャーノン・アスピナルなる人物が書いた「バルバドスの未解明ミステリー」という記事を発見した。

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事件を解説するパネル 写真提供:羽仁礼

 この記事には、棺桶が動くという謎を確かめるため、バルバドス総督とともに納骨所を調査したとされるネイサン・ルーカスが、1924年に残した証言記録の概要が紹介されていた。しかしその内容には、一般に伝わっているものと異なる点があったのだ。

 たとえば、棺桶の移動が確認されたのが1812年のドーカス・チェイスの葬儀と、1816年のサミュエル父子の納骨時、そしてバルバドス総督が納骨所を覗いた1820年の4回だけだった点。また、1820年より前に総督自身が内部を調査したとか、納骨所の入り口に押印したり、床に細かい砂を撒いたなどの記述も一切ない点。さらに1820年に総督が納骨所を覗いた際も、コンクリートをはがしたなどの記述はなく、単にゴミをどけて道を開いたとしか書かれていない点が挙げられる。

 一般に伝えられる内容とこの手記との違いを考慮すると、実際に起きた事件に尾ひれがつき、かなり誇張された内容で現代に伝わっている可能性が考えられる。いずれにしても、真相を探るには、やはり問題の納骨所を実際に訪れるしかないだろう。

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墓入口 写真提供:羽仁礼

■ついに棺桶が動く納骨所へ

 こうして筆者は、首都ブリッジタウンから10キロほど東、オイスティンスにあるチェイス家納骨所へと向かった。

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教区教会 写真提供:羽仁礼

 問題の納骨所は、オイスティンスの魚市場を見下ろす高さ30メートルほどの崖の上に位置する、クライストチャーチ教区教会の敷地内にある。教会入り口の柱には、動く棺桶事件の紹介と、棺桶の位置変化を示すパネルとが埋め込まれており、この事件がバルバドスでも広く知られていることが確認できた。チェイス家の納骨所は、教会の入り口に向かって右方向すぐの場所に残されている。

 地上部分は古びたコンクリートの四角い構造物で、その前面には地下の納骨所に入る階段が彫られている。少なくとも外部から見る限り、階段部分を塞ぐようなものは残っていない。納骨所の入り口には、鍵のない古びた鉄柵があるのみだが、この部分は周囲が少し欠けている。どうやらこの入口の部分だけがコンクリートで塞がれていた可能性はあるようだ。他方、この部分のコンクリートをはがすだけなら、それほど大きな作業でもなさそうだ。

 鉄柵を押し開けてアーチ状の納骨所に入ってみると、内部はレンガ積みになっていて、吹き寄せられた枯れ葉が床にたまっていた。薄暗い納骨所の中を見回しても、四方の壁に隙間やひび割れらしきものはなく、隠し扉のような構造もない。半地下特有の息苦しさは少しばかり感じるものの、禍々しさはなく、異臭もしない。

 それから一旦外に出て、各部分の寸法を計測してみた。地上の四角い構造物は幅2.46メートル、奥行きは3.44メートルで、その前の階段部分が長さ2.2メートルある。そして、階段部分の幅はというと、なんと90センチもない。内部は、横幅も奥行きもほぼ2メートルくらいで、アーチ構造の最高部分でも1.75メートルくらいしかない。身長1.73メートルの筆者でも、背伸びすれば頭がつかえそうなほどだ。

■新たな疑問と可能性

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調査中 写真提供:羽仁礼

 しかし、ここで新たな疑問が生じた。階段の幅は90センチもない。これでは、伝えられているように8人もの大人が棺をかついでしずしずと納骨所内に入っていくことはどう考えても不可能である。一体どういうことなのだろう。動く棺桶の話は、すべて何者かの創作だったのだろうか。総督と一緒に現場を目撃したというルーカスの証言も虚偽だったのだろうか。それとも、ルーカス本人が創作に加担していたのだろうか。納骨所を所有していたトマス・チェイスの棺が鉛で内貼りされていたという証言も、本当ではなかったのだろうか。

 そこで、鉛で内貼りされた棺の重さについて調べてみた。例えばダイアナ妃の棺もこの種のものであったが、その重さは560ポンドほど、つまり252キロ程度となっている。確かに、この重さを担いで運ぶとなれば、大人が8人近く必要だろう。しかし、床をひきずるとか、片側だけ持ち上げてひっくり返すとなればどうだろう。1人では無理だとしても、屈強な力自慢が2、3人いれば可能かもしれない。

 そうだとすると、次のように考えられないだろうか。納骨所の封印がそれほどしっかりしたものでなかったと仮定すれば、密かに内部に侵入した何者かが、人力で棺を動かしたという想定も不可能ではない。では、この狼藉が人間の仕業だとすると、何者が、何のために棺を動かしたのか。

■黒人奴隷たちの歴史、そして導き出された答え

 いたずらだとすれば、虐待に耐えかねた黒人奴隷など、チェイス家に恨みを持つ者の存在がまず考えられる。他方、事件が1812年に最初に始まり、1816年でいったん休止している点も気になる。実はバルバドスでは、1816年に「バッサの反乱」と呼ばれる大規模な黒人奴隷反乱が起きているのだ。

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バッサの像 画像は、「Wikipedia」より引用

 バルバドスをはじめとするイギリス連邦では、1807年に奴隷貿易が禁止され、アフリカから新たな黒人奴隷の流入はなくなった。しかし、奴隷制度そのものは存続し、黒人奴隷たちの窮状は変わらなかった。逆に、奴隷貿易の禁止に続いて自分たちも解放されるかもしれないという期待が裏切られたとき、むしろ黒人たちの不満は高まり、自分たちの自由は闘い取るしかないと考える者も現れた。

 その中心となったのが、バッサという黒人奴隷である。バッサはアフリカから送られてきた奴隷といわれているから、1807年以前に島に売られてきたものと考えられる。奴隷たちは何年もかけて、密かに反乱の計画を話し合った。この話し合いには洞窟や、農場内にある離れなどが使用されたが、ある程度の広さがあって人眼につきにくい地下の納骨所などは、陰謀をめぐらす場所として格好の舞台ではないだろうか。

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内部 写真提供:羽仁礼

 もしかしたら一般に伝えられるところと異なり、チェイス家の納骨所は比較的容易に内部に侵入できたのかもしれない。だとすれば、それに気づいた黒人奴隷たちが、この場所を謀議の舞台としたことは充分考えられるのではないだろうか。2メートル四方の狭い空間とはいえ、ある程度の人数は収容できるし、墓地の、それも地下の納骨所ともあれば、夜間あまり人も訪れないだろう。しかも1812年、最初に異変が確認されたときには、中にあった2つの棺は、まるで場所を開けるように奥の方に追いやられていたのだ。

 バッサたちは、1816年4月14日、イースターの祝日に一斉に反乱を起こした。ほとんどの農場では、黒人奴隷が農場主たちを追い出した程度であったが、バッサは400人ほどの黒人奴隷やカラードと呼ばれる有色人種を率いてイギリス軍や農場主たちの私兵と戦った。しかし、ほとんど武器を持たない黒人たちの反乱は、わずか3日で鎮圧され、バッサも戦闘で死亡した。黒人たちの死者数は、後日共犯者として処刑された者たちも含め1000人近くに上るという。それに対し、白人側で公式に戦死者として記録されているのは、たったの1人。それこそ、1816年11月17日にチェイス家納骨所に葬られたサミュエル・ブリュースター二等兵その人だった。

 反乱自体は鎮圧されたが、その残党は一部残っていた可能性がある。サミュエル・ブリュースターの遺体が納められたときに棺が動いていたのも、反乱の残党がかつて謀議をめぐらした場所を訪れたとすれば説明できるだろう。

 他方1820年、バルバドス総督が内部を覗いた時にも棺は動いていたという。これについては奴隷反乱との関係は考えにくい。ルーカスの手記が信用できるとすれば、何らかの超自然的要素が働いた可能性も残るだろう。

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棺桶の配置を示すパネル 写真提供:羽仁礼

■恐怖は終わらない

 実は、動く棺桶の伝説はバルバドス以外の場所でもいくつか伝えられている。

 まずは1815年、ロンドンの月刊誌『ヨーロピアン・マガジン』9月号に、イギリスのスタントンの納骨所で棺が動いたという話が掲載されている。バルバドスの事件を調査した民話学者アンドリュー・ラングも、1844年にバルト海のオーセル島の公共墓地で起きた同様の事件について述べている。また1867年の学術誌『ノーツ・アンド・クエリー』には、同じくイギリスのグレットフォードでの事件が紹介されている。

 そしてバルバドスでも、もうひとつ、動く棺桶事件の報告がある。そしてこの事件には、かの秘密結社フリーメイソンが関係しているのだ。

 事件は1943年に起きた。フリーメイソン会員であるマックスウェル・シルストーンは、バルバドスにおけるフリーメイソンの系譜を調査し、開祖ともいうべきアレクサンダー・アーヴィンの遺体がブリッジタウン市内の聖マイケル聖堂の墓地にあると推測した。

 そして、折から同じ教会にあるマクレガー総督(前述の総督とは別人)の墓が修理されると聞いたシルストーンは、フリーメイソンの仲間たちとともに総督の墓へと赴き、その壁を開こうとした。そして、ゴミやレンガを取り除いていると何かの金属が壁を塞いでいた。なおも壁を開いてみると、地面に安置されているはずの総督の鉛の棺が壁によりかかっていたのだ。墓所の奥にはアーヴィンのものらしき頭蓋骨と骨があったが、本人のものと確認するまでには至らなかった。

 なお、チェイス家納骨所での事件に登場したカンバーミア総督についても、奇妙な後日談が残る。彼は1891年に死亡したが、その葬儀の際中、邸宅の図書館で写真が撮られた。現像してみると、死んだはずの総督本人の姿が写っていたというのだ。

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文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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