史上最大の“聖母出現”事件の真相!なぜエジプトで聖母が繰り返し現れるのか?

 聖母マリアといえば、キリスト教における救世主にして神の子であるイエスの産みの母である。『福音書』によれば、マリアはヨセフと婚約していたが、聖霊によってイエスを身ごもった。イエスが磔にされた後は、トルコのエフェソスに住み、最期は世界各地からテレポーテーションで運ばれてきた12使徒に囲まれ、生きたまま天に召されたという。

エジプトで頻発する「聖母出現事件」の謎とは?の画像1
聖ベルナルドゥスの幻視(フラ・バルトロメオ)「Wikipedia」より

 ところが、聖母マリアが再び姿を現したという報告は、昇天直後の紀元1世紀から多数寄せられている。アイルランドのジョアン・アシュトンが1989年に著した『Mother of All Nations』によれば、著書発刊以前の1000年の間に、世界各地で実に21,000回以上その姿が目撃されたというのだ。

 そのうち、フランスのルールドやポルトガルのファーティマなど、11件がローマ法王庁によって真正の出来事と認められているが、ほかにもボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエや、日本の津和野(島根県)にある乙女峠でも聖母マリアらしき姿が目撃されている。公にされているもの以外にも、こうした目撃事例は世界各地に無数にあり、総数は到底把握しきれるものではない。

 ただ、こうした聖母マリア出現の事例においては、目撃したと主張する当人にしか聖母の姿は見えず、周辺にいる見物人は何も目視できないことがほとんどだ。ところが、こうした常識を打ち壊すような事例が、イスラム教の国であるエジプトで、しかも何件も発生しているのだ。

■エジプトで頻発する「聖母出現事件」

 この種の事件が最初に発生したのは、1968年4月2日の未明のことだ。その時、エジプトの首都カイロ郊外にあるザイトゥーン地区で、公共バスの車庫の労働者が、向かいにある聖母教会の屋根に不思議な女性の姿を見た。彼らは当初、この女性が教会の屋根から身を投げようとしているのかと疑い、

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事件を写したとされる写真 「Wikipedia」より

「お嬢さん、早まるんじゃない!!」

と叫んだという。しかし彼らもすぐに、この人影が尋常のものでないことに気づいた。なにしろ夜明け前の暗い教会の屋根で、女性の姿それ自体が明るい光を発して周囲を照らしていたからだ。やがて労働者の1人が言い放った。

「きっと聖母マリア様だ。マリア様がお姿をお見せになったのだ!」

 労働者たちは一斉にその場に跪いて、この不思議な人影を拝み始める。聖母マリアらしき姿は、片手に平和の象徴であるオリーブの枝のような光る物体を持ち、ドームの上を歩き回り、やがて消えてしまった。

 この噂はすぐにカイロ中へと広まり、次の夜から、教会の周辺には大勢の人間が押し寄せてきた。そしてこの大群衆の前で、同様の事象は何度となく繰り返されたのだ。

 聖母の出現は、明け方に見られることもあったが、ほとんどは夜間に発生した。ある時は上半身だけ実体化することもあり、イエスらしき幼子を抱いた姿で現れることもあった。また、天使や聖人らしき別の人影を伴っていることもあれば、光り輝く鳩のような飛行物体や光る雲が同時に、あるいは単独で現れたり、芳しい香りが周囲に立ち込めることもあった。

 そして大観衆の中には、聖母を目撃した瞬間に長年患っていた難病が治癒したという者も大勢現れた。1968年4月30日には、午前2時45分頃から5時頃まで、2時間以上にわたって出現が続いたという。

 聖母の出現や奇妙な発光物体の目撃という事例は、3年以上の期間、1971年5月まで続いた。目撃者の総数は何百万人とも言われ、まさに史上最大の聖母事件である。

 エジプトでの聖母事件はこれだけではない。1986年3月25日には、カイロ市内のショブラ地区に聖母マリアが姿を現し、やはりその姿が大勢のカイロ市民に目撃されている。さらに、2000年8月にはエジプト中央部のアシュート、そして2009年12月11日からは、ほぼ1カ月間、カイロ市の対岸にあるワラークにやはり聖母が現れた。

■実はエジプトに来ていた! イエスと両親

 これらエジプトの聖母事件には、いずれも共通した特徴が見られる。聖母の出現が夜間に発生していること、聖母マリアの姿が光り輝く人型をしていること、そして何よりも、現場に集まった不特定多数の民衆にその姿が目撃されていることである。

 ここで読者の皆さんは疑問に思うかもしれない。エジプトといえばアラブ諸国のひとつであり、国民はイスラム教を信じているはずだ。そんな国で、どうして史上最大の聖母事件が発生したのだろうか。

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コプト教徒 「Wikipedia」より

 実はエジプトには、「コプト教徒」と呼ばれるキリスト教徒たちが住んでいる。そして上述の聖母事件はいずれも、このコプト教の教会で発生している。さらに、聖母マリアはイスラム教においても預言者イエスの母であり、女性預言者として尊敬を集めているのだ。

 そしてもうひとつ、エジプトという国と聖家族との重要な関係も指摘しなければならない。

『マタイによる福音書』には、マリアの夫であるヨセフの夢の中に天使が現れ、次のように告げたと記されている。

「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」

 当時パレスチナの王であったヘロデが、新しく生まれた救世主(イエス)に自分の地位が脅かされることを恐れ、ベツレヘムに住む当時2歳以下の男児をすべて殺そうとしたのだ。そこで聖家族はエジプトへと逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにとどまった。

■謎に満ちた西欧キリスト教会の態度

ジョット・ディ・ボンドーネ作「エジプトへの逃亡」 By © José Luiz Bernardes Ribeiro, CC BY-SA 4.0, Link

 以上の話は『新約聖書』に書かれているにもかかわらず、聖家族がエジプトでどのように過ごしたか、西欧のキリスト教会は一切関知しようとしない。その態度は、まるで「エジプト逃避」を無視したがっているようにさえ見える。

 しかし他方、エジプトのキリスト教徒であるコプト教徒の間には、エジプトでの聖家族の行動についてさまざまな伝説が伝わっており、イエスとその両親はエジプト南部アシュートにまで足を伸ばし、そこに滞在したと言われている。そして、たとえ一夜限りといえども、聖家族が滞在したと伝えられる場所には、必ず教会が建てられている。聖母マリアが出現した前述のザイトゥーン聖母教会、そしてショブラやワラークの教会は、いずれもそうした伝説が残る場所なのだ。

 なお、フランスのルールドやポルトガルのファーティマなど、ローマ法王庁が認めた事例では、聖母が目撃者にさまざまなメッセージを伝えたと言われているが、エジプトの聖母事件にそのような報告はない。しかしエジプト人たちは、聖母マリアの出現それ自体が、もっとも重要なメッセージであると考えている。

 なぜ、西欧のキリスト教会は、聖家族の「エジプト逃避」に触れようとしないのか。そして、そのエジプトで聖母が繰り返し出現する意味とは――。ここに、何らかの興味深い関係が隠れているのかもしれない。

参考:羽仁礼『新千一夜物語』(三一書房)

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世界の終末を予言した!?ファティマの聖母と第三の秘密とは・・・の画像3

※当記事は2015年の記事を再編集して掲載しています。

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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