「美しすぎる母親」をもった精神科医を襲った“美醜の苦悩”! 蘇る母の性的な記憶とコンプレックス

 子ども時代を振り返ってみますと、世間では、猫にはむしろネガティヴなイメージが濃かったように思われます。泥棒猫(サザエさんに追いかけられる)とか、不吉な黒猫とか、化け猫とか。あるいは水商売の女性と猫との相性が良いといった感覚もあった気がしますし、意地の悪い金持ち婦人は必ず(彼女と同様に意地悪で高慢な)シャム猫を飼っているといったステレオタイプな発想もあったのではないでしょうか。猫は鼠を捕るための実用品といった考えが普通でしたし、それを条件に、気まぐれに可愛がっていた気配がありました。

 母は、音もたてずに動き回るところが嫌いだったようです。陰険とか卑怯といった意味合いを読み取っていたのかもしれません。父の浮気に関連して、奔放な女性と猫とを同じジャンルと見なしていたようでもあります。

 昔の猫に比べ、今どきの猫はかなり器量が良くなっている気がしてなりません。不細工であっても、「そこがかえって可愛い♡」となる。バイアスが加わっていたからなのかもしれませんが、小狡い人間の顔を思わせる悪相の猫が以前は珍しくなかったように記憶しています。現代の猫は、野良であっても食べ物が良くなったとか、実はアメリカンショートヘアの遺伝子が予想以上の頻度で組み込まれているのではないかとか、勝手な想像はしてみるものの理由は分かりません。人間を手玉にとるべく、猫たちが自らの器量を進化させている可能性も否定できませんよね。

 とにかく母が猫を嫌っていたので、〈なると〉君を飼うまでわたしは猫と暮らしたことがありません。猫を欲しいと思ったこともありませんでした。猫を飼うようになったのは、母が亡くなったあとのことです。

 もしもわたしが〈ねごと〉君と一緒にソファでぼんやりしているところに、母が蘇ってきたらどうでしょうか。おそらく彼女は、「あら、可愛いわね」とぬけぬけ褒めるに違いありません。彼女の夫は土の中なので、もはや怒りを猫に投影する必要がなくなったからなのでしょう。わたしのほうは、自分の意志で猫を飼っているところを母に見せつけて、微妙な達成感を覚えそうです。いじましい話ですが。

肉球は美味(撮影:春日日登美)


 末井さんが前回、「ぼくがこれまで関わった全てとは言わないまでも、多くの対象が『母親の変形した投影』ではなかったか」と書いていらっしゃるのには大いに興味がそそられます。と申しますのは、このわたしについては「ぼくがこれまで関わった全てとは言わないまでも、多くの対象と、『母親に認めてもらえるか否か』を無意識のうちに検討しつつ向き合っていたのではなかったか」と考えずにはいられないからです。

 言い換えるなら、母に褒めてもらえるだろうか、母に承認してもらえるだろうかが、行動原理というか絶対的な基準として作用してきました。しかも困ったことに、阿吽の呼吸で母さえ頷いてくれれば大丈夫といった話にはならず、世間的に賞賛されたうえに母も認めてくれるといった甚だ欲張りな状態に持ち込まないと駄目なのです。ある意味では自分に厳しい、といった姿勢と似てくるようにも思えますが、そうではない。むしろ承認乞食ですね。

 世の中、もともと勝率が低く出来上がっているのですから苦戦せざるを得ない。でも母に認めてもらえなかったら生きて行く価値すらない。とはいうものの、考えようによっては、努力でどうにかなるものはまだマシです。駄目であっても、調子が悪かったからとか予期せぬアクシデントがあったからとか、どうにか言い訳が立たないでもない。が、どうにもならないものもあります。努力の埒外のものが。

 それが外見、顔の美醜というものです。目鼻立ちなんて発生学上の運・不運に左右されるだけの気がしますが、母の息子である以上はそれに相応しい器量でなければいけない――そんなドグマがわたしにはありました。べつに母が当方に向かって「不細工な子は、わたしの息子じゃないわ!」と言い放ったわけではない。ただし言動からそれが伝わってくる。京都人の「ぶぶ漬け」みたいなものですね。母は神田の佐久間町の生まれではありますが。

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