あったのは食欲と性欲だけ…? 壊れた母性本能とグレることすらできなかった少年! 末井昭の性格が捻じれた少年期~青年期とは?

 その工場を3カ月で逃げました。正式に退職願いを出すと止められると思ったからです。布団とわずかな衣類が入った大きな布団袋を担いで、みんなが食事をしている夕方に寮を抜け出して、大阪駅から東京行きの各駅停車の電車に乗りました。行き先は、父親が派遣労働者として働いていた川崎でした。お金がないので1駅切符です。車掌が見回りに来たら逃げようと思っていたのですが、来ませんでした。次の日の朝に川崎へ着き、南武線に乗り換えて、父親が住んでいるアパートがある平間という駅で降り、ホームから線路に飛び降りて近くの踏切から逃げました。布団袋がやたら重かった記憶があります。

 父親は、トラックを作っている大手自動車工場の鋳物現場で働いていました。通称地獄の1丁目と呼ばれている過酷な現場で、真っ赤に焼けたエンジンの鋳物の砂を落とす仕事でした。正社員が行きたがらない現場なので、父親のような派遣労働者が働いているのです。

 父親の口利きで、ぼくはその会社の精密検査課で働くことになりました。量産されるトラックのボディーを1週間に1台抜き取り、計器が狂うので一定温度に保たれた冷暖房完備の部屋で、ボディーが図面通りに出来ているかを測定する仕事でした。先輩が1人いる、2人だけの課でした。仕事は楽で1日2〜3時間も働けば、その日の仕事は終わります。余った時間は先輩とその部屋で昼寝をしていました。

 工場が終わって、アパートに帰って父親と一緒にいるのが苦痛でした。父親が話すことは暗い話ばかりでした。仕事がきついとか、あと何年働けるかわからないとか、足に鋳物をわざと落として骨折させて、傷害保険をもらった仲間がいるとか、自分もやってみようかとか、気が滅入る話ばかりです。

 父親とは2カ月ほど一緒に暮らしたのですが、近くに3畳で家賃3,000円の下宿を見付けたので、アパートを出ることにしました。この頃から月刊漫画誌『ガロ』を購読するようになり、つげ義春さんの漫画を読んで、自分も漫画家になりたいと思うようになりました。

 前回、春日さんが書かれていた罪悪感につながる記憶の話で、万引きした少年が罪悪感を持て余し、万引きした品物(万年筆でしたね)に見合う金額の紙幣を、蝋燭の炎でそっと燃やす楠勝平さんの漫画は、1970年1月号の『ガロ』に掲載された「盗っ人」という作品です。改めて読んでみると、確かに文学的な素晴らしい作品でした。春日さんはそれを真似て、お母様が手紙を燃やしていた台所の流しで、紙幣を燃やして文学的気分を経験しようと試みるのですが、実はぼくも紙幣を燃やしたことがあるのです。

 ぼくが編集していた雑誌『写真時代21』(1984年発行)の表紙を撮影する時、どうしたらインパクトが出るか考えていました。その時「そうだ、お札を燃やしてみよう」と思ったのは、ひょっとして楠勝平作品を読んでいて、そのことが潜在意識に残っていたからかもしれません。ぼくの場合は文学とは関係なくて、動機は「冗談と挑発」みたいなことでした。お札を燃やすと快感があると思っていたのですが、やってみると思った以上に罪悪感がありました。漫画の少年は罪悪感で千円札を燃やすのですが、紙幣を燃やすことの罪悪感は感じなかったのでしょうか。(貨幣損傷等取締法は紙幣には適用されないので、自分のお札であればいくら燃やしても罪にはなりません)

燃やした一万円札の表紙(季刊『写真時代21』1984年5月号)

 漫画家になることはすぐに諦めました。漫画家になっても食えないと思ったからです。しかし、工場労働者を続ける気はすでになくなっていたので、グラフィックデザイナーなら食えるのではないかと思い、デザイン学校に行くことにしました。

 実は、グラフィックデザイナーという仕事があるということを、川崎に出て来るまで知らなくて、新宿に遊びに行った時たまたまデザイン専門学校のポスターを見て知ったので、漫画は無理としてもグラフィックデザインなら表現しながら生活も出来ると思ったのです。

『ガロ』を読み始めたり、状況劇場や天井桟敷などのアングラ劇団を知ったり、そのポスターを横尾忠則さんや粟津潔さんがデザインしていて、まるでアート作品のようなそのポスターに惹かれて、自分もデザインで自己表現しようと思ったのでした(これがそもそもの間違いでしたが)。

 昼間は自動車工場で働いて、夜は渋谷にあった青山デザイン専門学校に通っていましたが、学生運動で校舎がロックアウトされて入れなくなってしまい、3カ月ほどで辞めて、工場も辞めて看板屋に就職しました。そこに2年間いましたが、看板ですから自己表現といっても無理なので、グラフィックデザインが出来るキャバレーの宣伝課に転職することになります。この頃から自分がグレるのではなくネジレて行くのですが、その話はまたの機会に……。

文=末井昭

末井昭(スエイ・アキラ)

1948年、岡山県生まれ。デザイン会社やキャバレーの看板描きなどを経て編集者となり、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『NEW SELF』『ウィークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を次々と創刊する。白夜書房取締役編集局長を経て、2012年に白夜書房を退社。現在はフリーで執筆活動などを行なう。著書に、『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『自殺』(朝日出版社)、『結婚』(平凡社)、『末井昭のダイナマイト人生相談』(亜紀書房)、『生きる』(太田出版)、『自殺会議』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞を受賞。2018年、『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化(監督・冨永昌敬/配給・東京テアトル)。


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