人類史上最も残酷な古代の処刑法10選! 犠牲者の苦痛を長引かせる拷問の歴史
溶けた金
熱で溶かした金属を飲ませる拷問方法は、ローマ帝国だけでなく、スペインの異端審問でも頻繁に行われたと考えられる。犠牲者は拘束され、溶けた金属を口が強制的に流し込まれる。その結果、臓器に深刻な損傷を与え、肺が焼け付き、ほぼ即死する。
古代ローマの将軍マニウス・アクィッリウスは、ポントス王ミトリダテス6世によって、溶けた金で処刑された。この処刑法を踏襲したパルティア人は、同じく古代ローマの将軍マルクス・リキニウス・クラッススを溶けた金で処刑した。南米では1599年、ネイティブ・インディアンのジバロ族がスペイン総督を捕らえ、溶けた金を喉に流し込んで処刑した。
皮剥ぎ
皮剥ぎは、じっくり時間をかけて犠牲者の皮膚を剥ぎ取っていくので、処刑方法の中では最も苦痛が長引く拷問法だった。犠牲者は裸にされ、手足を縛られて身動きを封じられ、鋭い刃物でで個人の皮膚を剥ぎ取られる。
場合によっては、皮膚を柔らかくするために、犠牲者の身体の一部を煮ることもあった。皮剥ぎの死因は、ショック、血液や体液の喪失、低体温、感染症などである。死亡時間も数時間から数日間と考えられる。中世では珍しい刑罰だったが、皮剥ぎは見せしめの効果が期待されたため、しばしば権力者によって実施された。
皮剥ぎは、アッシリア人、アステカ人、中国人、いくつかの中世ヨーロッパの人々によって行われた。東ローマ時代のエジプトで活動した女性哲学者ヒュパティアは、暴徒と化したキリスト教徒によって土器の破片で皮膚を剥ぎ取られて絶命したと伝えられる。
ローマの蝋燭
ローマの蝋燭は、犠牲者を高い杭に縛り付け、可燃性の液体をかけた後、生きたまま焼き殺す拷問である。犠牲者は足元から焼かれるので、その苦しみは長時間に及んだという。
ローマ帝国の皇帝ネロは、キリスト教徒をガーデンパーティーの松明として使用したといわれる。これは、ローマ帝国のキリスト教徒に対する最初の迫害だったとされる。
参考:「TheCollector」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊人類史上最も残酷な古代の処刑法10選! 犠牲者の苦痛を長引かせる拷問の歴史のページです。処刑、拷問、串刺し、ヴァイキング、磔刑などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで