「皮剥ぎの刑」が行われた例を5つ紹介! 生きた人間の皮膚を剥ぐ残酷な処刑法
歴史上の怖ろしい処刑法の一つに、生きている人間の皮を剥ぐ「皮剥ぎの刑」がある。メソポタミアのアッシリア人や中米のポポロカ族など数多くの古代文明だけでなく、明代の中国や16世紀のヨーロッパでも、皮剥ぎの刑が行われてきた。現代人からしてみれば残酷としか言いようがない行為だが、罪人に苦痛を与えるためだけでなく、見せしめの意味合いも大きいものとして行われていたという。今回はそんな皮剝ぎの例を5つ紹介し、その残忍さを知ることで、人権尊重の大切さをもう一度思い出したい。
古代アッシリア人の皮剥ぎ
古代アッシリア時代(紀元前800年頃)に作られた石の彫刻には、戦士たちが捕虜の体から皮を剥ぎ取っている様子が描かれている。
アッシリアは世界で最も古い帝国の1つで、現在のイラク北部に位置していたとされる。アッシリア人は、新たな戦闘技術と鉄製の武器を使用して、敵の都市を次々と占領することで版図を広げた。捕虜が拷問されるのは日常茶飯事だった。
アッシリアの皮剥ぎの刑は、考古学NPO「聖書考古学協会」のエリカ・ベリブトレウ氏によって報告された。これによると、アッシリア王のアッシュル・ナツィルパル2世は、服従を拒んだ都市の住人たちの皮を剥ぎ取り、その皮をかけたという。不服従に対する見せしめとして皮剥ぎの刑が行われたと考えられている。
明の初代皇帝による皮剥ぎ
1368~1644年までの約300年間、中国では明王朝が専制政治を行った。洪武帝としても有名な初代皇帝の朱元璋は特に残酷であったとされる。1368年、朱元璋は20万を越える大軍を侵攻させ、元の首都大都を占領して明王朝を樹立した。
朱元璋は、自らを批判する者たちをことごとく死刑にした。謀反を企てたとされる功臣だけでなく、その親戚、友人、仲間をすべて粛清した。約4万人もの命が奪われたともいわれる。処刑された者たちの中には、皮を剥がされて肉を壁に釘付けにされた者もいる。歯向かう者には容赦しないことを示すためだったとされる。
ポポロカ族による皮剥ぎ
現在のメキシコには、アステカ文明が成立する前、ポポロカ族が住んでいた。ポポロカ族は「シペ・トテック」と呼ばれる神を崇拝していた。シペ・トテックは「皮を剥かれた我らが主」を意味する。
シペ・トテックの司祭は、儀式で戦争の捕虜を人身御供としていた。毎年春に40日間かけて行われる儀式では、司祭が色彩豊かな衣装と宝石を身に着けてシペ・トテックに扮し、豊作を願って捕虜の皮膚を剥がし、その皮膚を身にまとったとされる。儀式の様子は、ポポロカ神殿とアステカ神殿の両方に描かれている。
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2024.10.02 20:00心霊「皮剥ぎの刑」が行われた例を5つ紹介! 生きた人間の皮膚を剥ぐ残酷な処刑法のページです。ナチス、処刑、拷問、人身御供などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで