人類史上最も残酷な古代の処刑法10選! 犠牲者の苦痛を長引かせる拷問の歴史
キールホーリング
キールホーリングは「キール(竜骨)に沿って引きずる」の意味で、船上で行われる処刑である。犠牲者は裸にされ、縛られ、船のマストからロープで吊り下げられた。足にはおもりや鎖が取り付けられることが多い。犠牲者はキールの下に引きずり込まれ、ほぼ100%の確率で死亡した。溺死しなかった場合、キールに衝突することによる頭部外傷や、船体に付着したフジツボなどによる裂傷を負った。そのため、生き残ったとしても、傷口からの感染症で命を落とした。
ギリシャでは紀元前700年、海賊行為に対する処罰としてキールホーリングがロード海法(海商法の一種)に規定されていた。オランダで1560~1853 年にかけてキールホーリングが行われていた。
車裂きの刑
車裂きの刑は世界各地で公開処刑の方法として採用されてきた。さまざまなバリエーションがあるが、犠牲者を大きな木製の車輪に縛ちつけるのが一般的だった。犠牲者を一思いに殺すのではなく、鉄の棒で殴打して脚の骨を砕くことから始めて、徐々に全身の骨を粉砕していった。処刑が終わると、犠牲者は出血多量で死ぬまで放置された。
1348年、ボナという名前のユダヤ人が4日4晩にわたって車裂きの刑に処された。この拷問の犠牲者の中では最も長く生き残った事例と考えられている。ミラノでは2019年、車裂きの刑で処刑されたと考えられる古代人の骨が発見された。
串刺し
多くの古代文明で行われていたのが、長くて鋭い杭に犠牲者を突き刺す串刺しである。反乱や亡命、戦争における軍への不服従に対する見せしめの意味があったとされる。
串刺しには、縦方向または横方向の2パターンがあった。縦方向の場合、犠牲者は肛門から杭を途中まで挿入された。重力によって侵入していく杭は、主要な臓器を避け、肩や首の皮膚を突き破って外に出る。犠牲者は数日間苦痛を味わうことになる。一方、横方向の場合、杭は前から後ろへ、またはその逆のいずれかで、胴体に突き刺された。
アケメネス朝ペルシャやメソポタミア、新アッシリア帝国、古代エジプトなどで串刺しが行われた。
血のワシ
血のワシは、スカルド詩で最初に記録されたヴァイキングの処刑法である。犠牲者はうつ伏せに横たえられ、背中を切り開かれ、肋骨を脊椎から切り離され、肺を引きずり出されて広げられたとされる。血のワシが実際に行われていたのか、文学的なフィクションなのかは議論されているが、最も残酷な処刑法の1つとして語り継がれている。
最初期の記録では、867年、ヴァイキングのリーダーであるラグナル・ロズブロークの息子が、父親を殺したノーサンブリア王国の王エラを血のワシで処刑したとされる。
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2024.10.02 20:00心霊人類史上最も残酷な古代の処刑法10選! 犠牲者の苦痛を長引かせる拷問の歴史のページです。処刑、拷問、串刺し、ヴァイキング、磔刑などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで