ナチスのUFO開発史ー円盤型航空機「V-7」は完成していた!?(3)

――「超常現象」分野に深い造詣を持つオカルト研究家・羽仁礼が歴史的UFO事件を深堀り。アーノルド事件からCBA事件までを振り返る。

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画像は「Getty Images」より

第1回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(1) 
第2回:UFO史を紐解くー「ケネス・アーノルド事件」(2)
第3回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(1)
第4回:UFO史を紐解くーケネス・アーノルド事件以前の目撃例(2)
第5回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1)
第6回:日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2)
第7回:戦前に設計された円盤形航空機「ディスコプター」とは?
第8回:UFO=宇宙人の乗り物説は日本発祥だった!?
第9回:UFO研究の先駆者ドナルド・キーホー概説
第10回:1897年「オーロラ事件」は世界初のUFO墜落事件なのか?
第11回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(1)
第12回:謎に包まれた「アズテック事件」を解説(2)
第13回:昭和25年の「空とぶ円盤」事情
第14回:ナチスのUFO開発史ールーマニアの発明家アンリ・コアンダ(1)
第15回:ナチスのUFO開発史ーフリーメーソンの技術者ベッルッツォ(2)

 ジョゼッペ・ベッルッツォとルドルフ・シュリーファー以外にも、第二次世界大戦中UFO製作に携わっていたと称する人物がその後何人か登場した。

 1952年になると、ドイツのロケット科学者と称するリヒャルト・ミーテという人物のインタビュー記事が、フランスの『フランス・ソワール』紙7月7日号に掲載された。

 記事によればミーテは、当時40歳の退役大佐ということで、ドイツが1945年5月7日に降伏する数日前、飛行機でエジプトに逃れると、そこで他のドイツ人科学者たちとミサイル開発に従事していたという。しかしナチスが開発していた兵器の秘密をエジプト側に明かすことを拒んだため、仲間の何人かはエジプト当局によって逮捕され、他の者もエジプトから追放された。ミーテも追放された科学者の一人で、当初イスラエルのテルアビブに逃れた。問題の『フランス・ソワール』とのインタビューもテルアビブで行われたという設定になっている。

 ミーテの証言によれば、彼は1943年4月から、ドイツのエッセン、シュテッティン、ドルトムントにある第10帝国軍の技術者グループの指導者として秘密兵器の研究を行っていた。ドイツが人類史上初めて実用化したミサイル、V-1号やV-2号はミーテたちの研究で生まれたともいう。

 さらにミーテは、他の6人の技術者と協力して、円盤形兵器の開発にも取り組んだ。

 この兵器は直径約42メートルの円盤形をしており、中心部の周辺を金属の輪が回転する仕組みになっている。輪の外縁には12基のジェットエンジンが等間隔で取り付けられていた。

 この開発には20カ月以上の実験が繰り返され、その過程で18人の死者が出たという。

 バルト海で飛行実験が行われたのは、ベルギー南東部にあるアルデンヌの森でドイツ軍最後の攻勢が始まった3日後というから、1944年12月19日ということになる。

 実験は成功し、この新兵器はV-7と名づけられて量産が決定されたが、その時にはアメリカ軍がライン河を渡河してベルリンに迫っていた。そこで計画は中止となり、その後の戦況の悪化でミーテの同僚6人のうち3人は死亡、残る3人も戦後ソ連に連れ去られたという。さらにソ連軍は、この秘密兵器のエンジンも持ち去ったという。

 ただ、ルドルフ・シュリーファーの場合と同様、リヒャルト・ミーテという人物についても、その実在は確認できていない。さらにこの記事には、ジョゼッペ・ベッルッツォやルドルフ・シュリーファーへの言及もない。

 ミーテの証言によれば、彼と一緒に6人の科学者がUFO研究を行っていたが、うち3人は死亡、3人はソ連に連れ去られたという。つまり、戦後自国でインタビューに応じたベッルッツォやシュリーファーは、この6人中に含まれていないことになる。

 なおミーテについては、後になってアメリカに逃れたと主張する者も現れたが、確認できていない。

 ともあれこの段階では、イタリア人のベッルッツォも含め3人のナチス関連の人物がUFOを制作していたと名乗り出たわけだが、奇妙なことにお互いの関係をほのめかす証言は一切なかった。

 ところが1953年、シュリーファーとミーテは協力していたと述べる人物が現れた。それがゲオルク・クラインで、彼はドイツ紙『ヴェルト・アム・ゾンタック』1953年4月25/26日号のインタビューに応じ、1941年から1945年までUFO製造に携わっていたと述べている。

 クラインによれば1944年までに3種類のUFOが計画されていた。

 そのうち最初のものがリヒャルト・ミーテの設計によるもので、これは直径42メートルの円盤型であるが回転はしなかったという。

 2番目のものは中央に操縦席があり、その周りを回転する輪が取り巻いている。つまり、ルドルフ・シュリーファーが述べたものと同じ構造であり、クラインもこのタイプの開発へのシュリーファーの関与を指摘しているが、クラインはもう一人、クラウス・ハーベルモールという人物もこの機種の開発に関わっていたという。いわば、シュリーファー・ハーベルモール型というわけだ。

 このタイプについては、1945年2月14日に試験飛行が行われ、飛び立って3分経たないうちに高度12400メートル、時速2000キロを達成したという。

しかしドイツの敗戦が近づくと計画は中止され、部品や設計図も含め、すべての試料は破壊されたという。

 クラインの記事では、新しくハーベルモールという人物が登場したが、クラインによれば彼は戦後戦後ソ連に連れ去られ、ソ連でUFO開発を続けたという。

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文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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