英スパイが“首なし死体”になって帰還…! 2057年まで完全機密の未解決事件
映画ではどんな窮地も華麗に脱してしまうスパイだが、現実では血生臭い最期を迎えることもある。イギリスのスパイが首から上と両腕を切断された状態で見つかった事件は象徴的だ。一体なぜ彼は殺され、切断されたのか、いまだ英国政府は事件の真相を開示していない。
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※ こちらの記事は2022年6月11日の記事を再掲しています。
1956年、イングランド南東部チチェスター港のピルジー島沖で、潜水用スーツを着用した“首なし遺体”が回収された。頭部のほか両腕も失われていた遺体は、検死の結果イギリス海軍の士官・潜水士のライオネル・バスター・クラブである可能性が高いとされた。
クラブは1909年1月28日にサウス・ウェスト・ロンドンのストレタムで生まれ、若い頃は貧しい家庭を支えるために職を転々としていた。第二次世界大戦前にイギリス海軍予備員に登録し、開戦時には陸軍の銃手となった。1941年には海軍の機雷除去部隊に籍を移し、ダイビングを習得したことで海中での危険な任務で活躍した。マルタ島でイギリス軍艦に仕掛けられた機雷を除去した働きによりジョージ・メダルを、イタリアのリボルノやヴェニスで機雷除去任務を遂行した働きにより大英帝国勲章をそれぞれ授与された経歴がある。「バスター」というニックネームはアメリカの水泳選手のバスター・クラブに由来する。
戦後、パレスチナに派遣されたクラブは潜水士部隊を率いて、委任統治領パレスチナ・パルマッハで爆発物の除去を行った。1947年に軍を退役した後も潜水士としての活動を続け、1950年代にはイギリス海軍とともに、スコットランド西海岸マル島トバモリーの海で沈没した潜水艦の捜索に参加している。1955年にはソ連の巡洋艦の秘密調査を行い、同年3月にMI6(イギリス秘密情報部)にスカウトされた。
1956年に遺体が発見される数カ月前、MI6からの依頼でクラブはソ連の巡洋艦オルジョニキーゼを秘密裏に調査していたとされる。当時、ニキータ・フルシチョフとニコライ・ブルガーニンが外交交渉のためにイギリスを訪問中で、2人を乗せたオルジョニキーゼはポーツマスに停泊していた。クラブはポーツマス港で潜水してオルジョニキーゼに向かったまま行方不明となったという。
イギリスのアンソニー・イーデン首相はMI6の作戦について知らされていなかった。MI6は事件の隠蔽を図り「クラブは新型機雷の試験中に行方不明となった」と発表。しかしソ連政府は、オルジョニキーゼの周辺で潜水士の姿が目撃されたとしてイギリス政府に抗議した。
後にMI6のジョン・シンクレア長官が辞任した際、(この事件の責任を取る形で)実質的にイーデン首相に解任されたという噂も流れたが、これは事実ではなかった。イーデン首相は事件前からシンクレア長官の後任として、MI5(イギリス保安局)のディック・ホワイトを就任させることを決めていたからである。
クラブの生死に関してはさまざまな憶測が飛び交った。クラブがオルジョニキーゼの狙撃兵によって殺された、捕虜となってソ連か東ドイツで生きている、などである。
そして2007年、ソ連の元潜水士であったエドゥアルド・コルツォフがクラブを殺害したと告白するインタビューが報じられた。当時23歳だったコルツォフは、オルジョニキーゼの周囲で不審な活動が行われていないか調査するよう命じられ、クラブがオルジョニキーゼの船体に機雷を取り付けようとしているのを発見したという。コルツォフはクラブの喉を切り裂いて殺害したと述べ、その際に使用したナイフと、後に政府から授与された赤星勲章を見せた。しかし、イギリスとソ連の外交交渉中にクラブがソ連の巡洋艦を爆破しようとしていたとは考えづらく、コルツォフの告白は信憑性に欠けるとされている
クラブ事件の詳細はイギリス政府によって2057年まで機密扱いとされるため、現時点で全ての真相は闇の中である。
参考:「The Daily Star」「BBC」「Historic UK」ほか
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2024.10.02 20:00心霊英スパイが“首なし死体”になって帰還…! 2057年まで完全機密の未解決事件のページです。スパイ、第二次世界大戦、斬首、MI6、ソ連、潜水艦などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで