メンバーが全員死んだ“ラモーンズの呪い”とは? 黒づくめの男が雷鳴とともに“死の宣告”をしていた…
ラモーンズは1974年にニューヨークで結成、14枚のアルバムを残して、1996年に解散した伝説のパンクロックバンドだ。薄汚れた黒革のバイカージャケットに強面の4人組。一種独特な悪のオーラを放ちながら、40代の若さで音楽シーンから引退した。パンクバンドとしては長寿だったが、幕引きは実にあっさりしたものだった。だが、ストーリーには続きがある。オリジナル・メンバーは全員、すでに死亡しているのだ。人呼んで“ラモーンズの呪い”。

■メンバーの若死には予言されていた!?

ベースのディー・ディーと結婚していたヴェラは著書『Poisoned Heart: I Married Dee Dee Ramone』の中で、オクラホマ州タルサで起きた事件について触れている。さかのぼること1978年。ライブ終了後、一見してヤバそうな黒づくめの若い男がやってきたかと思うと、いきなり4人に向かって言い放ったという。
「悔い改めよ。その罪深き行状を改めなければ、お前たちは死ぬまで呪われるであろう!」と。
月明かりのない闇夜に雷鳴が轟いていたため、余計不気味だったという。それきり、移動の車中でも誰ひとり口をきかなかったというから、相当ビビっていたのかもしれない。もちろん、これがすべての始まりとは信じられないが、それ以降、オリジナルメンバーたちは、ひとり、またひとりと若くして亡くなっている。
2001年、ボーカルのジョーイがリンパ腫で、その1年後にディー・ディーがドラッグで命を落としている。2人ともまだ40代だった。後を追うように2004年にギターのジョニーが前立腺がん、2014年にはドラムスのトミーが胆管がんで、この世を去っている。
考えてみれば、彼らの音楽には絶えず「死」がつきまとっていた。1987年に発売された『Halfway To Sanity』の裏ジャケには墓石が写り、同アルバム最後の曲『Worm Man』の中でジョーイは不吉にリフレインしているのだ、「死んだほうがマシ、死んだほうがマシ」と。だが、85年に発売されたアルバムタイトルは『Too Tough To Die』なのだから、実に皮肉だ。
■ジョニーは医者嫌いだった
極めつきは、89年のミュージックビデオ『ペット・セメタリー』だろう。ニューヨークのスリーピー・ホロー・セメタリーで撮影されたビデオにはメンバー全員が墓穴の中にずんずん沈んでいく様が映し出されている。
しまいには“Ramones”とネオンサインが光る墓石まで登場。やり過ぎ感がハンパない。ジョーイはこのビデオ撮影中と後に、楽器の電気系統トラブルが続いたと告白している。これらを偶然と片付けられるだろうか?
いまや都市伝説と化したこのミステリーだが、ライターのニック・レッドファーン氏は、豪ニュースサイト「Mysterious Universe」に独自の見解を発表した。
彼は1970年代にジョニーのガールフレンドだったシンシア“ロキシー”ホイットニーが、2005年に出版した『Too Tough to Love』の中にヒントを見つけたという。そこには、ジョニーが医者嫌いだったことが書かれており、ジョニー自身も著書『Commando』の中で認めている。つまり、医者に診てもらうのを渋ったため、前立腺がんの発見が遅れたというのだ。もし、彼がこの病気の初期症状(排尿時の違和感)に気づき病院に駆け込んでいたら――彼は今も生きていたかもしれない。
以下、ジョーイは、脊髄に奇形腫を持って生まれ、その影響で脚の感染症に生涯苦しんでいたというし、ディー・ディーが深刻な薬物問題を抱えていたことは周知の事実だ。ではトミーは? 「彼はたぶん、運が悪かっただけ」と片付けられている。
死んでなお、噂の絶えないラモーンズ。「ペット霊園に埋葬されたかないね。テメーの人生、もういっぺんやるなんざ、ヤなこった」と歌っていたが、今ごろは草葉の陰で不敵に微笑んでいたりして……。
参考:「Mysterious Universe」ほか
※当記事は2017年の記事を再編集して掲載しています。
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2024.10.02 20:00心霊メンバーが全員死んだ“ラモーンズの呪い”とは? 黒づくめの男が雷鳴とともに“死の宣告”をしていた…のページです。都市伝説、バンド、パンク、ラモーンズなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで