兵馬俑で発見された“盗掘されなかった墓”― 2000年前の悲劇の王子、その伝説は真実だったのか?

50年前、中国・西安郊外で井戸を掘っていた農夫が、偶然にも一体の粘土製の兵士を発見した。これが、20世紀最大の考古学的発見の一つ、「兵馬俑」が見つかった瞬間であった。その後の調査で、この兵士は、秦の始皇帝の巨大な陵墓を守る大軍団の一体に過ぎないことが判明した。
そして半世紀が経った今、この伝説的な陵墓から、古代中国の悲劇的な伝説を裏付けるかもしれない、新たな宝が発見され、考古学界に衝撃が走っている。
2000年間、誰にも触れられなかった16トンの棺
始皇帝陵の広大な敷地内で、2011年に発見されながらも、保存上の懸念から長年発掘が見送られていた重さ16トンにも及ぶ巨大な棺の調査結果が、このほどついに発表された。驚くべきことに、この墓は2000年以上の時を経て、盗掘者の手に全く触れられていなかったのである。
「古代の墓のほとんどは盗掘されているため、あまり期待はしていなかった。しかし、棺の部屋が荒らされていないことが判明し、我々は驚愕した」。発掘の責任者であるジャン・ウェンシャオ氏はそう語る。
棺の中からは、鎧や武器、6000枚もの銅銭、翡翠、そして金や銀で作られたラクダの像など、数多くの豪華な宝物が発見された。これほど保存状態の良い未盗掘の墓は極めて稀であり、その壮麗な埋葬様式は、被葬者がただならぬ人物であったことを物語っている。

墓の主は悲劇の王子「公子高」か?
この墓の主は一体誰なのか。考古学者たちが有力な候補として考えているのが、秦王朝の王子の一人、「公子高(こうしこう)」である。
彼の悲劇的な物語は、司馬遷が著した中国の歴史書『史記』に記されている。
秦の始皇帝が亡くなった後、本来であれば長男の扶蘇(ふそ)が帝位を継ぐはずだった。しかし、弟の胡亥(こがい)が陰謀によって即位。新皇帝となった胡亥は、自らの地位を盤石にするため、兄弟姉妹を次々と粛清し始めた。
これを見た公子高は、国外への逃亡を考えた。しかし、自分が逃げれば、残された一族が追われることになる。思い悩んだ彼は、新皇帝・胡亥のもとへ出向き、「父君を見捨てて死に遅れた私は、父に殉じるべきでした。どうか父の陵墓のそばに、私を埋葬してください」と自ら死を願い出たという。
『史記』によれば、胡亥はこの願いを聞き入れ、公子高は始皇帝陵に埋葬されたとされている。

2000年の時を超え、歴史の真実が明かされるか
もし、今回発見された墓が本当に公子高のものであれば、それは単なる考古学的な発見にとどまらない。2000年前に書かれた『史記』の記述が、歴史的な事実であったことを証明する、画期的な出来事となるのだ。
「2000年の時を経て初めて、我々は司馬遷が書いたことが正しかったのかどうかを解明するチャンスを得たのです」と、オックスフォード大学の歴史学者は語る。
秦の始皇帝と彼が生きた時代は、万里の長城の建設や中国統一といった偉大な功績と共に、数多くの伝説と謎に包まれてきた。兵馬俑のそばで発見されたこの一つの墓は、歴史の教科書に記された物語が、紛れもない真実であったことを我々に告げているのかもしれない。今後の調査の進展が、世界中から注目されている。
参考:Popular Mechanics、ほか
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2024.10.02 20:00心霊兵馬俑で発見された“盗掘されなかった墓”― 2000年前の悲劇の王子、その伝説は真実だったのか?のページです。財宝、始皇帝、兵馬俑などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで