>  >  > ロシア最恐の未解決事件「ディアトロフ事件」の仮説7

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 ここで紹介する「ディアトロフ峠事件」はロシア史上、最も不可解な事件の1つとされる。9名の若者が冬山で死亡したが、死に至る経過が実に奇妙なのだ――。


■雪山で学生9人全員が謎の死

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事件前の笑顔:(左から)ブリニョール、ダビニナ、ゾロタレフ、コルモゴロワ 「Daily Mail」の記事より

 1959年1月、ウラル科学技術学校(現・ウラル工科大学)の学生と卒業生10名がウラル山脈でのスキー・トレッキングを試みた。彼らは男性8名、女性2名からなるグループで、全員が雪山登山の経験豊かな頑強な若者たちだった。

 彼らは鉄道、トラックを乗り継ぎ、最終的には徒歩で荒涼としたウラル山脈に到達したが、途中で撮影されたスナップ写真には仲良しグループならではのリラックスした雰囲気が満ち溢れ、何の不吉な陰も見えない。唯一、予想外の出来事はグループの1人、ユーディンが急病にかかり、グループから抜けて9人になったことであった。

 2月2日、グループのリーダーであるディアトロフ(この峠の名前は彼から命名された)の指揮のもと、彼らは猛吹雪の中、ホラート・シャフイル山の斜面にテントを設営した。しかし、その後彼らに何が起こったのかは誰も知らない。

 ディアトロフは麓の集落・ヴィジャイに戻ったら電報を送ると話しており、それは2月12日頃と想定していた。しかし1週間過ぎても何の連絡もなく、遂に捜索隊が結成された。

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