「半分以下の脳」しかない男、なぜ不自由なく生きられるのか? 人体の奇跡!!

■30年かけて髄液が脳細胞を浸食

 医学界に衝撃をもたらした症例だが、この男性の医療機関での受診履歴を調べるといくつか重要なことがわかってきたのだ。まず男性は生後6カ月に産後水頭症と診断されていたのだ。

 水頭症とは脳内の髄液が通常よりも多く生産されてしまい脳室内にたまってしまう症状である。このため男性は乳幼児期に、脳にたまった髄液を腹部へと排出できるようにシャント(shunt)と呼ばれる管を埋め込む手術(シャント手術)を受けていたのだ。

 しかしその後、成長と共に管の長さが足りなくなったためか、それとも水頭症の症状が改善したと判断されたためなのか、14歳の時点で埋め込まれたシャントが除去されていたのだ。

 しかしこの後、やはり少量ながらも髄液が脳にたまるようになったようで、以来30年間かけて溜まった髄液が濃縮されて頭蓋骨の中で脳細胞を浸食していったと考えられるということだ。そして44歳になった時点で、頭骸骨の内側に貼りつく脳組織を残すだけになったのだ。

 男性が左足に不調を覚えるようになったのも、これが原因であることが分かり、この後再び行なわれたシャント手術によって左足の痛みは緩和したということだ。ともあれこれで男性の身体の不具合はなくなったのだが、もちろん医師たちにとっては大きな謎が残ったままだ。「どうしてこれだけの少量の脳で普通に生活できるのか?」という謎だ。


■驚くべき脳が持つ潜在能力

 とすれば、やはり脳は我々が考えている以上に変幻自在で万能な可塑性(plasticity)を有していると考えるのが妥当のようだ。7割もの脳を失ってもそれまでと変わらぬ生活が送れるというのもスゴイ話だが、この男性のケースの場合、髄液によって脳が極めてゆっくりと時間をかけて失われていったことに着目すべきであるという。

「時間的な余裕があれば、脳のそれぞれの部分は別の機能を補完する機能を獲得することができるのです」と、国立ヒトゲノム研究所の小児脳損傷の専門家であるマックス・ムエンケ博士は「New Scientist」の取材に応えている。つまりゆっくりとした脳の損傷であれば、失われるであろう機能を脳の別の部分が補完するように働きはじめるということだ。少なくなったこの男性の脳は、ほかの機能も埋め合わせるべくフル稼働で働いているということになる。

 また最近の研究では、聴覚障がい者の脳の使われないままでいた聴覚野が、他の感覚器官の性能を高めるために働きはじめることや、脳の優れた可塑性は自閉症の完全な治癒ための大きな役割を持っていることがわかってきている。まだまだ分からないことが多い我々の脳が持つ潜在能力には驚かされるばかりだ。
(文=仲田しんじ)

参考:「New Scientist」、「Medical Daily」ほか

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