ヴァイキングの拷問法「血のワシ」が行われた理由とは? 背中の肋骨を開いて肺を広げる残酷性の意味
ヴァイキングは、9~12世紀にかけて、西ヨーロッパ沿岸部で海賊活動や交易を行ったノルマン人である。ヴァイキングの北欧神話の神々を信仰し、主神オーディンの名の下に敵を残酷に拷問したとされる。そのような拷問術の一つに「血のワシ」がある。
ヴァイキングの拷問術「血のワシ」とは?
血のワシは、うつ伏せに寝かせた犠牲者の背中を刃物で切り開き、脊椎から肋骨を外した後、左右の肺を引きずり出して広げる拷問である。肺の広げ方がワシの翼のようだったという。
犠牲者は逃走や急な動きを防ぐため、手足を縛られた。尾骨を胸郭に向かって背中を裂かれた後、それぞれの肋骨が斧で細心の注意を払って背骨から切り離され、内臓を完全に露出させられた。犠牲者がこの間ずっと生きていたとされ、しかも傷口に塩を刷り込まれたとすらいわれる。
血のワシが歴史的な事実なのか文学作品におけるフィクションなのかに関しては議論が続いている。というのも、この拷問術が記録されているのがスカルド詩とサガだけだからである。スカルド詩は9~13世紀頃の北欧で読まれた古ノルド語の韻文詩で、サガは中世アイスランドで成立した古ノルド語の散文作品群である。
血のワシに関する最初期の記述は867年だったと考えられている。ノーサンブリア王国の王エラは、ヴァイキングのリーダーであるラグナル・ロズブロークを捕えて、ヘビの穴に投げ込んで殺害した。865年、ロスブロークの息子たちは父の復讐のためイングランドに侵攻し、エラを血のワシで処刑した。これは敵に恐怖を植え付けるためだったという。
北欧の歴史の中で少なくとも4人の有名人がエラと同じ運命をたどったと信じる学者もいる。具体的には、イングランドのエドマンド王、ノルウェーのハラルドル王の息子ハーフダン、ミュンスターのマエルガライ王とアエルヒー大司教の4人である。
こうした記録がフィクションであると考える学者も少なくない。しかし、シカゴ大学の研究チームは昨年、当時の技術で血のワシが実現可能であることを発表した。もっとも、犠牲者は心身のショックと出血多量によってすぐに死んでしまうため、死体から肺を取り出して広げたと考えられるという。
ヴァイキングが血のワシを行った理由
ヴァイキングが血のワシを行った理由とされるは2つの説がある。1つめは、血のワシが北欧神話の主神で戦争の神でもあるオーディンへの生贄だったという説である。2つめは、血のワシが不名誉な罪を犯した者への罰として行われたという説である。エラは復讐のため血のワシで殺害されたと伝えられることから、2つめの説が真実味を帯びてくる。
時代は下って、20世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』の中で身体刑の意義について言及した。一見すると残酷な身体刑は野蛮な凶暴性の発露と見られがちだが、実際はそうではなく、規則を伴う一種の祭式であるという。その中には、刑の犠牲の刻印や、処罰する権力の明示といった意味が含まれると解釈される。拷問もまた真実を探究するための身体刑の一種である。
フーコーの理論に基づけば、暴力的な欲求にかられたためではなく、復讐の事実を人々に知らしめたり、オーディンの権威を明らかにしたりするため、ヴァイキングが血のワシを行ったと考えるのが妥当だろう。
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2024.10.02 20:00心霊ヴァイキングの拷問法「血のワシ」が行われた理由とは? 背中の肋骨を開いて肺を広げる残酷性の意味のページです。復讐、拷問、生贄、ヴァイキング、北欧神話などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで