人間の肉体をたやすく両断する刀「人間無骨」誇るべき日本のロストテクノロジーと織田信長の家臣の逸話
※当記事は2017年の記事を再編集して掲載しています。
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人間無骨(にんげんむこつ)。名前からして恐ろしげなこの武器は、戦国時代に活躍した武将「森長可(もり・ながよし)」が愛用したという業物の十文字槍(穂先、先端が十字になっている槍)です。
この物騒な名前は、一品物の刀や槍に対して、それにまつわる逸話、刻まれた銘や彫刻、見た目などから付けられる「号(ごう)」であり、人間無骨の場合はまず、穂先の首部分の表に「人間」、裏に「無骨」と彫られているためです。
それだけではありません。各種文献によると、人間無骨は「まるで骨などないかのように、人間の肉体をたやすく両断する」ほどの鋭い斬れ味、突き味を持っており、そこから名付けられたとのこと。人間無骨と彫られ、同じ号が付けられた背景には、このような恐ろしい意味があるのです。
■織田信長家臣一番の暴れ者「森長可」と人間無骨
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人間無骨の持ち主であった森長可は、初陣から27歳という若さで討ち死にするまでの間、この槍をもって数々の武勲を打ち立てました。特に17歳の時には人間無骨を振るい、なんと27もの首級を挙げたという逸話が残されています。
森長可は、一部隊を率いる武将という立場になっても戦場の最前線に立つ勇猛さ、勝利のためなら手段を選ばない苛烈さ、ほかにも非常に怒りっぽい乱暴者であったことから「鬼武蔵」と称され、敵味方問わず非常に恐れられていました。
主君の織田信長にも引けを取らない、森長可の壮絶な逸話はいくつもあります。ただし大河ドラマなど数々の歴史モノ作品に、森長可といういち武将として登場しているにもかかわらず、そのほとんどを映像化できない、という点から、色々と察せられるものがあるかと思います。
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人間無骨の逸話もまた、映像化は非常に難しいと思われるものです。(おそらく森長可が)人間無骨の穂先に敵将の首を刺して掲げた後、槍の石突(いしづき。穂先の反対側、柄の根元部分)を地面に突き立てたところ、その衝撃によって首が十文字の穂先を貫通し、石突の部分までスルリと落ちたといいます。これが事実だとすれば、頑丈な頭蓋骨さえたやすく切り裂くという、恐るべき鋭さの証左といえるでしょう。
森長可の死後、人間無骨は森家に代々伝えられ、現在では旧三日月藩主森家の個人蔵になっているとも、行方知れずであるともいわれています。
ただし、戦国時代前後には大切なものを同時に2個作り、それぞれ「正」「副」と称する習慣がありました。このことから人間無骨は古くから写しが作られており、「副」の人間無骨は、かつて森家が統治していた兵庫県の「赤穂大石神社」に収蔵されています。
■官位を賜った槍
ところで「日本の槍」と言われた際、真っ先に名の挙がるのは「天下三名槍」と呼ばれる3本の槍でしょう。
第二次世界大戦の戦火によって失われたため、何度も復元が試みられている「御手杵(おてぎね)」。姿の美しさ、完成度の高さから、腕に覚えのある刀匠が生涯に一度は写しに挑戦するという「日本号(にほんごう、ひのもとごう)」。戦国時代の武将本多忠勝(ほんだ・ただかつ)の愛槍で、穂先に当たったトンボが真っ二つに切れたという逸話の残る「蜻蛉切(とんぼきり)」。これら3本が天下三名槍の内訳です。
ちなみに、これらの中でも特に日本号は、皇室所有物となるために「正三位」の官位を賜っています。これは上から3番目、江戸時代には徳川将軍家でも一部の者のみ、現在では政府の高官や多大な功労ある人物が死後に叙せられる、というもので、物品に与えられる官位としてはありえない破格のものです。
実は人間以外が官位を授かるのは珍しいことではなく、かつての朝廷には官位のないものは人間、動物、物品を問わず入ることができない、という習わしでした。よって天皇が鑑賞する動物などに官位が与えられたりもしていたのですが、この場合は中級貴族層に与えられる「従五位」にとどまります。異例の正三位を与えられた日本号が、どれほどの逸品であるか示すエピソードといえるでしょう。
■日本のロストテクノロジーとして見た「人間無骨」
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さて、人間無骨に話を戻しましょう。結論から言ってしまうと、人間無骨のような十文字槍、鎌状の突起が槍穂に付いている「鎌槍」などは、現代において製法が失われたロストテクノロジーとなっています。
製法が失われた理由は至極単純で、合戦の必需品であった槍は実用品であり、平和な世の中になれば需要がなくなるものです。徳川家康が江戸幕府を開き、太平の世が長く続いた江戸時代に入ると、次第に槍の需要は減少し、やがては必要最低限の技術のみが伝えられるようになりました。
槍術は剣術のように武芸として伝えられていましたが、美術品としての価値もある日本刀とは違い、ただの槍はともかく、凝った形をした十文字槍など太平の世において需要はなく、作られることさえほとんどなかったのです。結果、十文字槍の制作技術は失われてしまいました。
今ではひとくくりに考えられがちですが、刀の製法と槍の製法は似て非なるもので、槍は専門の鍛冶師によって作られていました。
その一方で、刀匠が槍を作ることはほとんどありませんでした。名高い刀匠が手がけている先述した天下三名槍や、人間無骨のように刀匠である「和泉兼定」の銘がある槍は、数少ない異例の存在なのです。
時代の流れによって失われてしまった「十文字槍」の制法ですが、近代に入ってからはその製法や、十文字槍を再現する試みは幾度も行われています。現在では主に岡山県の刀匠「赤松伸咲」を中心としたグループが、十文字槍の製法研究と製作を行っています。今後の技術の発展と、ロストテクノロジーの復活に期待しましょう。
(取材・文=たけしな竜美)
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