東日本大震災の津波で婚約者と娘を失った「見える女性」が壮絶体験を告白!当事者が明かす地震直後に“絶対してはいけない”行動4つ

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※当記事は2021年の記事を再編集して掲載しています。

 東日本大震災の津波で婚約者と娘を亡くした女性がいる。「見える女性」の一人として過去に何度か紹介したことのある、秋田県の明菜さん(仮名)で、今回初めて大震災の時の壮絶な体験を手記としてまとめてくれた。どうすれば津波の被害を抑えることができるのか、実に示唆に富む内容となっており、彼女の体験から学ぶべきことも多いはずだ。

■亡き家族と夢で会う女性

 2011年3月11日14時16分に三陸沖で発生したM9.0の東北地方太平洋沖地震は、国内で起きた地震の正式な記録としては初となるM9クラスの地震だった。やがて「東日本大震災」と呼ばれるようになったこの地震・津波による大災害では、派生した火災なども含め、東北地方を中心に12都道県で2万2000人余の死者・行方不明者が発生した。明治時代以降の国内の地震被害としては、関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模である。

 筆者が明菜さんから初めてメールをもらったのは、2019年3月7日。大震災から8年が経とうかという時だった。明菜さんによると、大震災で悲惨な体験をした後、亡き家族が夢で未来に起きることを知らせてくるようになったという。

 現在、テレビ各局では例年震災特別番組を組むなど、改めて震災の恐ろしさを伝える試みが行われている。今回、筆者は津波の恐ろしさを人々にしっかりと思い出してもらうために、明菜さんの体験を紹介したいと依頼したところ、快諾してくれた。

 地震発生の当日、明菜さんは当時住んでいた岩手県から実家がある秋田県まで移動していた。以下に、その手記の抜粋を紹介する。

■明菜さんの手記(2021年)

 間もなく東日本大震災から10年目になりますね。今もまだあの光景はハッキリ目に焼き付いてます。あの日、私は秋田に着いて直ぐの地震でした。震源地は太平洋……大津波警報……震度7……などの目を疑いたくなる報道でした。

 

 パニックになりながら、ひたすら彼(婚約者)に電話をかけ続けました。もちろん、電話は不通……。

 

 直ぐに荷物をまとめて身内と一緒に向かいました。ただ……彼がいる地域までは車で行けず、その後は歩いて向かいました。津波の水がまだ引かない街中を、ひたすら歩きました。

 

 途中、沢山のご遺体も見ました。息を引き取る方も見ました。手や足が変な方向に向いてる方や……瓦礫が身体に刺さっている方など……。今も思い出す度に涙が出ます。

 

 私は、ただ……手を握り必死に励ますしか出来なかった。頑張って! 死なないで……って言葉しか、かけられなかった。皆が必死で……苦しんでる人が居ても、呆然と歩く人しかいませんでした。

 

 やっと避難所に着いた時には、凄く沢山の方が避難されていました。壁などにも張り紙がされていたり、メッセージが貼られたりしていましたが、私の家族はいませんでした。

 

 沢山の避難所を周り……やっと友達に偶然会うことができました。泣きながら抱き合い……。友達は泣きながら、私に話し始めました。彼の車がある場所(のこと)でした。その時直ぐに、私は察しました。

 

 彼の車は、流された家の屋根の上に重なる形で止まっていました。何とか車まで這い上がり確認したら……亡くなっていました。

 

 体育館には沢山のご遺体……。毎日運ばれてくるご遺体ばかりでした。隣に並べられたご遺体の家族の方が、私達はまだ幸せだよ! 会えただけでも感謝だよ! って話されていました。手も足もついてるんだから!って。他の方は手が無かったり、足が無かったりしていた方もいたそうです。

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 津波は地震と一緒にすぐ来る津波と、時間を空けてからくる津波があります。東日本大震災では逃げる時間がありました。なのに沢山の命が奪われた……。それは間違った判断と行動があったからです。

 

ここまで波が来た時は無いから大丈夫!

津波がなかなか来ないから自宅に戻る……!

家族が心配だから沿岸に向かう……!

 

など沢山の間違いが多くの命を奪いました。

 

 車での避難もそうです。渋滞になり、逃げ遅れて犠牲になった方……。東日本大震災では、沢山のお年寄りの方が亡くなりました。一度は避難所に来たのに、またご自宅に戻って亡くなった方もいます。長年の経験が影響した間違った判断でした。

 

 誰もあんな津波が襲ってくるとは思っていなかった……。自然は今までの経験以上の事を起こします。今までは大丈夫だったから、ではなく「もし」を考えた行動をお願いしたいです。

 

 今を生きる私たちは、沢山の事を学び生きていかないといけないと思います。だから私は、ブログでしつこく注意を呼びかけています。備蓄や正しい判断の大切さを書いてます。私が東日本大震災から学んだ事は、「今までの経験は関係ない!」という事です。

 

 そして何よりも、一日一日を後悔なく生きることの大切さも学びました。私のブログでは、最後に書く言葉があります。「今日も明るく楽しく笑顔で!」という言葉です。私は、あの日見た家族が最後になりました。もっと毎日を楽しく過ごしてれば良かった……と後悔しました。

 

 私はこの10年間、申し訳ない気持ちで過ごしてきました。自分だけが幸せになってはダメだ!そう自分に言い聞かせて10年間過ごしました。

 

 けど、10年目の今、私は新たな人生を進むのも良いかな?と思い始めました。生きたくても生きることができなかった人の分まで、自分が幸せにならないと! そう思うようになりました。

 

 東日本大震災は、この先も忘れません。私達に教えてくれた事を大切に、この先も生きていきたいと思います。最後に、まだご家族の元に帰れない方が一日も早く見つかり、帰れますように祈ります。

■津波から身を護るには

 明菜さんの体験記には、我々が大地震や津波から身を護るために大いに教訓となる話が含まれている。それらをまとめると、以下のようになる。

・ 津波警報などが発令された後に、周囲の人々を気遣って家に戻ったりしない。
・ 津波がなかなか来ないからと自己判断して家に戻らず、公的機関の発表を待つ。
・ 車での避難では、渋滞に巻き込まれて車ごと津波に流される危険がある。
・ 自分の人生の経験で「今までは大丈夫だったから」避難しないといった自己判断で命を落とした人が非常に多い。

 このように明菜さんの体験記は、家族を津波で失った人にしか知り得ないことまで含まれている。不意を襲われる大地震とは違い、津波は到達までに時間的な余裕がある。たとえ津波警報などが発令されていなくても、海沿いに住む方々は迷わず避難することが大切だろう。

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文=百瀬直也

超常現象研究家、地震前兆研究家、ライター。25年のソフトウエア開発歴を生かしIT技術やデータ重視の調査研究が得意。
Webサイト:百幸.com
ブログ:『探求三昧』
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Twitter: @noya_momose

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