人喰いチンパンジー「フロド」が人間の赤ん坊を… “正真正銘の悪魔”だった猿の一生とは!?

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 今から20年以上前、タンザニアの国立公園を歩いていた母娘がチンパンジーの成獣に襲撃され、赤ん坊が奪われ殺される事件が起きた。体の一部を食べられた赤ん坊の遺体が木から発見され、母娘を襲ったチンパンジーの「フロド」を殺処分してほしいという訴えが広まった。

 フロドは1976年6月30日、タンザニアのゴンベ渓流国立公園で生まれた。英国の人類学者で霊長類学者のジェーン・グドール博士の紹介で、ゴンベ・チンパンジー・コミュニティの一員として有名になったチンパンジーである。グドール博士は、当時息子に読み聞かせていた『ロード・オブ・ザ・リング』の主人公にちなんで、このチンパンジーをフロドと名付けた。

 フロドが生まれた時期はゴンベ・チンパンジー戦争の真っ只中だった。この戦争は1970年代に公園内の敵対関係にある2つのチンパンジーコミュニティの間で4年間続いた紛争である。

 フロドの母親であるフィフィは、公園内で支配的な地位にあるチンパンジー夫婦の一組で、フロドを含む9匹のチンパンジーを出産した。フロドは幼い頃からいたずら好きでトラブルを引き起こし、グドール博士がフロドとその母親を研究している間に博士のノートと双眼鏡を奪い取ることもあった。グドール博士はBBCのインタビューでフロドを「正真正銘のいじめっ子」と表現したほどだった。

 フロドは成長するにつれて大きくなり、体重は最大55キロになり、コミュニティで最も重いチンパンジーの1匹となった。石を投げるのが上手く、驚くべき正確さで人間に石を投げつけた。観光客に突撃し、殴りつけ、押し倒すこともあった。果ては岩を転がす方法まで学んだのだった。

 フロドは、ゴンベ渓流国立公園に生息するチンパンジーの頂点の座をめぐって、兄のフロイトとの間で激しい権力闘争を繰り広げていた。フロイトはチンパンジーのボスだったが、フロドは兄の座を奪おうとしていた。両者のリーダーシップのスタイルは大きく異なっていた。フロイトは同盟を築き、他の群れの個体を支配下に置こうとした。一方、フロドは攻撃性と強さに頼った支配を行っていた。フロドは熟練したハンターで、1990~95年の間に、彼の群れの領土にいるコロブスサルの10%を殺して食べたとされる。フロドはさらに強大な権力を求め、メスのチンパンジーを完全に支配するために兄と争った。

 1997~2003年、フロドは、毛包虫症で病気になったフロイトを倒し、ついに群れのボスとなった。しかし、フロイトとは異なり、友情ではなく恐怖によって群れを支配したため、他の群れからは嫌われていた。結局、フロドは寝ている間に他のチンパンジー全員から見捨てられた。

 フロドはたびたび人間に危害を加えてきた。1988年、フロドはゴンベ渓流国立公園を訪れていた漫画家のゲイリー・ラーソン氏を殴り、腕で激しく引っ張った。翌年にはグドール博士を攻撃し、危うく首の骨を折るところだった。

 ゴンベ渓流国立公園を訪れたミネソタ大学人類学教授のマイケル・ローレンス・ウィルソン博士は、フロドとの最初の出会いについて「彼はたやすく(相手に)ダメージを与えることができたかもしれないが、誰が一番偉いのか示すかのごとく振る舞いました」と説明した。

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 そして2002年5月15日、ルキア・サディキさんは姪(当時16)と赤ん坊の娘ミアサちゃん(当時14か月)と一緒にゴンベ渓流国立公園を歩いていた。ルキアさんは公園の係員と結婚しており、フロドのことを知っていた。そのフロドが木々の間から飛び出し、ミアサちゃんを奪ってジャングルに姿を消したのだった。ルキアは2004年にBBCのドキュメンタリー番組「ホライゾン」で「突然の攻撃に圧倒されました。チンパンジーは赤ちゃんを背中に縛っていた布を解き、子供を奪って逃げて行きました」と語った。

 捜索後、公園の監視員によって木に座っているフロドが発見された。監視員が近づくと、フロドは逃げ出し、そこには恐ろしいものが残っていた。ミアサちゃんは殴打されて死亡し、遺体は引き裂かれ、一部が食べられていたのだ。

 フロドによるミアサちゃんの殺害は世界中に衝撃を与え、マスコミはフロドを「悪魔の猿」と呼んで殺処分するよう呼びかけた。同番組でグドール博士は次のように語った。

「フロドは人間の乳児を殺しました。しかし、私たちは長い間ずっと、何かが起こるだろうことを予測していました。チンパンジーはハンターで、ゴンベでは彼らの好きな獲物はサルの乳児です。人間も他の種類の霊長類にすぎません」

 当時、ゴンベ渓流国立公園のチンパンジー研究責任者だったシャドラック・カメニア博士は次のように説明した。

「今回の事件におけるフロドの行動は、チンパンジーの本能的な狩猟行為の一部と思われます。彼らにとっては、人間の赤ん坊がコロブスサルやヒヒのような他の種の幼獣に見えたのでしょう」

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画像は、「The Sun」より
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画像は、「The Sun」より

 2002年12月、謎の病気がゴンベ渓流国立公園で流行し、フロドも感染した。保全生物学者のリリアン・ピンテア博士が「2003年1月にフロドが研究キャンプにやってきたのを見てショックを受けました。とても痩せていたので、最初は彼だと気づきませんでした。腰の骨も見えていました」と語るほどの衰弱ぶりだった。フロドは社会性を失って群れから離れ、隠れて生活するようになったという。抗生物質による治療で最終的には病気から回復したが、ボスとしての地位を取り戻すことはなかった。

 2013年11月10日、フロドは同年8月に鼠径部を犬に咬まれて感染症を引き起こし、その後に死亡した。37歳だった。剖検の結果、陰嚢に傷があり、精巣に感染症がみられたという。

 世界中から非難されたフロドは殺処分されることなく、一時期は群れのボスとしてチンパンジーの頂点に君臨した。しかし、暴力と恐怖による支配は長続きせず、最終的には孤立した。その最期も、オスとして大切な部分を犬に咬まれて命を落とすという情けないものだった。「悪魔の猿」の一生から人間もいろいろ学ぶべきなのかもしれない。

参考:「The Sun」、ほか

 

※当記事は2022年の記事を再編集して掲載しています。

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文=標葉実則

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