歴史に残る王族たちの「奇妙な死」10選!食べ過ぎ、鼻血、不老不死の薬で…

いかなる王も永遠には統治できない。いつか必ず訪れる死。王族であれば、その最期は気高く、名誉あるものとして記憶されることを願うだろう。しかし、歴史を紐解けば、高貴な身分であっても実に奇妙な理由や信じられない偶然によって命を落とした王族たちがいるのだ。
もしその治世で名を残せなくとも、とんでもない死に方をすれば、歴史書に名を刻む一つの方法にはなるかもしれない。ここでは、歴史上記録されている王族たちの特に奇妙な死にまつわる10の物語を紹介しよう。
1. 食べ過ぎで? – スウェーデン王アドルフ・フレドリク

スウェーデンを1751年から1771年まで統治したアドルフ・フレドリク王。20年という立派な治世にもかかわらず、有能な王としてよりも美食家としての評判の方が高い。
その理由は彼の死因にある。死の前夜、彼はロブスター、キャビア、ザワークラウト、シャンパン、そして大好物のペイストリー14個からなる、とてつもない量の晩餐を楽しんだと言われているのだ。この食べ過ぎが原因で亡くなった、というのが通説だ。
現代の学者たちは、この話はプロパガンダである可能性があり、実際は単なる心臓発作だったかもしれないと指摘している。とはいえ、常軌を逸した量の食事が心不全の引き金になった可能性は否定できないだろう。なんとも食いしん坊な王の奇妙な死である。
2. まさかの鼻血で – フン族のアッティラ

「神の災い」と自称し、ヨーロッパ中を恐怖に陥れたフン族の王アッティラ。彼の名は今でも畏敬の念を抱かせるが、その最期は驚くほど平凡な(?)ものだった。
死の夜、彼は新たに迎えた妻との結婚を祝う宴の最中だった。夫婦が寝室に引き下がった後、突然、花嫁の恐ろしい叫び声が響き渡った。
人々が駆けつけると、アッティラは鼻から大量の血を流して死んでいた。暗殺の噂も絶えないが、おそらくはアルコールが誘発した重度の脳出血が原因だったと考えられている。英雄のあっけない、そして奇妙な死だ。
3. 自分の鞍で腹を刺す – ウィリアム征服王(ウィリアム1世 (イングランド王))

1066年にイングランドを征服するという偉業を成し遂げたウィリアム征服王。この王は1086年に戦場で命を落としたが、それは敵の武器によるものではなかった。
晩年、ウィリアムはかなり太っていた。戦場へ馬で向かう途中、なんと彼は自分の突き出た腹を、鞍についていたスパイク(装飾か突起物)で刺してしまったのだ。
この腹部の傷が悪化し、最終的に彼は亡くなった。さらに不名誉なことに、彼の葬儀中、腐敗によってガスが溜まった腹部が破裂したという。なんともはや、奇妙な死に加えて後味の悪い話である。
4. トイレで暗殺 – エドマンド剛勇王(エドマンド2世 (イングランド王))
エドマンド剛勇王は、その勇猛さから素晴らしい異名を持つイングランド王だった。しかし悲しいかな、彼の最期は… それほど輝かしいものではなかった。
エドマンドは、王家のトイレに座っているところを暗殺されたのだ。暗殺者は便座の下に隠れており、エドマンドが腰を下ろした瞬間を狙って襲いかかった。
暗殺者が剣で刺したのか、クロスボウで射ったのかについては議論がある。いずれにせよ、彼は一つの「王座」には座って死んだわけだが…。これもまた、奇妙な死と言わざるを得ない。
5. 汚物の中で溺死 – 晋の景公
中国、春秋時代の晋の君主である景公もまた、王家のトイレの犠牲者だ。しかし、彼の死はさらに悲惨である。
伝えられるところによると、彼は王家のトイレの汚物を溜める穴に転落してしまったという。自力で這い上がることができず、最終的に汚水の中で溺死したとされている。
景公の転落が事故だったのか、それとも暗殺だったのかは不明だ。彼がかなりの暴君であったことを考えると、暗殺説も捨てきれないが、それにしてもあまりにも惨めで奇妙な死である。
6. 猿に噛まれて – ギリシャ王アレクサンドロス1世

1917年から1920年までギリシャを統治したアレクサンドロス1世は、多くのペットを飼っていた。その中にはバーバリーマカク(猿の一種)も含まれており、これが彼の命取りとなった。
若い王が宮殿の敷地内で愛犬を散歩させていたところ、飼っていた猿たちがその犬に襲いかかった。アレクサンドロスは仲裁に入ったが、その際に猿に噛まれてしまったのだ。
悲しいことに、アレクサンドロスの傷は感染症を起こし、壊疽(えそ)を起こした。しかし、担当医たちは、誤って王を死なせてしまうことを恐れるあまり、壊疽した脚の切断を拒否。結果的に、彼らの不作為が、27歳という若さでアレクサンドロスを死に至らしめたのだった。ペットが原因の奇妙な死は、なんとも皮肉である。
7. 死者の歯に噛まれて – シグルズ・エイステインソン
シグルズ・エイステインソンは、875年から892年までオークニー伯(スコットランドの貴族)を務めた人物だ。彼もアレクサンドロス1世と同様に感染症で亡くなったが、噛まれた相手は猿ではなかった。なんと、死んだ男の首である。
シグルズは戦いで敵の一人を打ち負かし、当時の慣習に従って、その首を切り落として自分の鞍にくくりつけた。ところが、馬に乗って移動している最中に、ぶら下げた首の歯がシグルズの脚をかすめてしまったのだ。この傷がもとで致命的な感染症を引き起こし、彼は命を落とした。敵討ちが招いた、なんとも奇妙な死だ。
8. 玉座が崩壊して – ハンガリー王ベーラ1世

自らの玉座が崩壊して死ぬというのは王にとって最も皮肉な死に方の一つに違いない。それがハンガリー王ベーラ1世に起こったことだ。
ベーラは強力な王であり、王国に安定をもたらし、貨幣改革にも成功した。しかし、統治に疲れを感じていた彼は甥に王位を譲ることを計画し、そのための祝宴を用意していた。
ところが、その祝宴の最中、ベーラが座っていた玉座が崩壊。彼はその際の負傷がもとで、まもなく亡くなった。彼がこのような形で王冠を手放すことを計画していたはずはないだろう。これもまた、歴史に残る奇妙な死である。
9. 燃えるブランデー治療 – ナバラ王カルロス2世

ナバラ王カルロス2世は、「悪人王」という不名誉なあだ名を持つほど、国民にあまり愛された王ではなかった。しかし、彼はその奇妙な死に方によって永遠に記憶されることになった。ブランデーで燃え死んだのである。
死の当時、54歳のカルロスは重い病を患っていた。そこで、当時の最高の医療知識に基づき、医師たちはアルコール度数の高いブランデーに浸したリネンの袋に王を入れる、という治療法を施した。
しかし、この「治療」の最中、不運にもロウソクがアルコールまみれの袋の上に落ち炎上。周囲の人々は恐怖に駆られて逃げ出し、カルロスは彼を治すはずだったものの中で、生きたまま焼かれてしまったのだ。治療が招いた悲劇的で奇妙な死である。
10. 不老不死の薬で… – 秦の始皇帝

中国を初めて統一した伝説的な支配者、秦の始皇帝。彼は自らの権勢が永遠に続くことを望んだ。
死を遠ざけるため、始皇帝は宮廷の錬金術師たちに不老不死の霊薬を作るよう命じた。彼らはそれを作り上げ、皇帝は毎日その薬を飲み続けた。
その霊薬の主成分は何だったか? なんと、水銀だったのである。
言うまでもなく、その薬は始皇帝が望んだ効果とは正反対の結果をもたらした。不老不死を求めた結果、自ら毒を飲んでいたという、究極に皮肉で奇妙な死の結末だった。
栄光ではなく、死に様で語られる王たち
王としての偉業ではなく、その最期の“珍事”によって名を残すことになった彼ら。時にあまりに奇抜で、思わず笑ってしまうような死に様ではあるが、それぞれの人生と歴史の重みがそこにはある。奇妙な死もまた、王族の生き様の一部なのだ。
参考:oddee、ほか
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