密林で918人が集団自殺した「ジョーンズタウンの惨劇」生存者が語る“狂気の楽園”と最期の日

900人以上が一度に命を落とした「ジョーンズタウンの集団自殺」。1978年11月18日、ガイアナの密林で起きたこの惨劇は、世界中を震撼させた。それから47年が経つ今、カルト教団「人民寺院(People’s Temple)」の元信者で、奇跡的に死を逃れたローラ・コールさんがBBCの取材に対し、当時の心境と、なぜ多くの人々が恐ろしい決断を下してしまったのかについて語っている。
カリスマ教祖との出会いと楽園への移住
当時、ローラさんの人生は混乱の中にあった。結婚生活の破綻、ベトナム戦争への反対運動の行き詰まり、そして孤独。そんな時、カリスマ的な教祖ジム・ジョーンズが現れた。「人民寺院」は人種や背景を問わず平等と正義を掲げており、ローラさんにとって理想のコミュニティに見えたのだ。
彼女はジョーンズが説く「核戦争後の世界でも生き残れる使徒的社会主義」に魅了され、1977年、南米ガイアナの密林にある「ジョーンズタウン」へと移住する。「冒険心が強く、熱帯雨林で暮らせることに喜びを感じていました」と彼女は振り返る。農作業は過酷だったが、信者たちとの共同生活には充実感があったという。

崩壊への序曲と「革命的自殺」の予行演習
しかし、楽園に見えたジョーンズタウンの実態は徐々に崩壊していく。1000人もの信者を養う自給自足体制は整っておらず、ジョーンズ自身の薬物依存や精神状態も悪化の一途をたどっていた。食糧不足や病気が蔓延する中、ジョーンズは信者たちに「白い夜」と呼ばれる予行演習を強要した。それは、毒入りと偽った液体を飲ませ、忠誠心を試す模擬集団自殺だった。
さらに、アメリカからレオ・ライアン下院議員が視察に訪れることになり、事態は急変する。虐待の噂や信者の脱走などにより追い詰められたジョーンズは、視察団が帰る際に襲撃を命じ、ライアン議員を含む5人を殺害した。これが、最悪の結末への引き金となった。
918人の命が消えた日
議員殺害後、ジョーンズは「軍隊が子供たちを奪いに来る」と信者たちの恐怖を煽り、シアン化物入りのフルーツポンチを飲むよう命じた。「彼は詐欺師でした。信者から財産を奪い、『もう帰る場所も金もない』と言い聞かせていたのです。彼らはパラノイア(偏執病)を植え付けられ、逃げ場を失っていました」とローラさんは語る。
幸運にも、当時ローラさんはジョーンズタウンから離れた首都ジョージタウンにいたため難を逃れた。しかし、無線で「全員が死につつある。革命的自殺を実行せよ」という指令を受け取った時の絶望は計り知れない。

密林に残された900以上の遺体。その多くは女性や子供だった。ローラさんは「もし私がそこにいて、愛する900人が死を選ぶのを見ていたら、自分だけ生き残ろうとは思えなかったでしょう」と語る。この事件による最終的な死者数は、ジョーンズ自身を含め918人に達した。犬やペットのチンパンジーさえも殺されるという、あまりに悲惨な結末だった。
47年という月日が流れても、密林で起きた惨劇の記憶が消えることはない。孤独や不安につけ込み、人の心を支配する狂気は、現代社会のどこにでも潜んでいる。「ジョーンズタウン」は過去の特異な事件ではなく、私たちが常に心に留めておくべき、重い教訓なのかもしれない。
参考:Mirror、ほか
※ 本記事の内容を無断で転載・動画化し、YouTubeやブログなどにアップロードすることを固く禁じます。
関連記事
人気連載
“包帯だらけで笑いながら走り回るピエロ”を目撃した結果…【うえまつそうの連載:島流し奇譚】
現役の体育教師にしてありがながら、ベーシスト、そして怪談師の一面もあわせもつ、う...
2024.10.02 20:00心霊密林で918人が集団自殺した「ジョーンズタウンの惨劇」生存者が語る“狂気の楽園”と最期の日のページです。ジム・ジョーンズ、人民寺院、集団自殺などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで